リチャード・ドーキンス 特別講義「進化とは何か」を読む ― 1 祖先になるのは、もう大変

 

リチャード・ドーキンス 特別講義「進化とは何か」を読む ― 1 祖先になるのは、もう大変

 

 

Growing Up in the Universe  by  Richard Dawkins

ドーキンスさんによる特別講義「進化とは何か」を読んでいます。

 


 

これは、1991年にイギリス王立研究所で行われた「クリスマス・レクチャー」

ドーキンス氏が講師として呼ばれたときの講演内容だそうです。

そのタイトルは「宇宙で成長する」というもので、 東京と仙台でも5回のレクチャーを

3回に短縮する形で実施されたそうです。

 

これは、子どもたち向けということになっていますが、さて、高齢者の私には理解

できるでしょうか・・・・・

 

ぼちぼち読みながら、例によって気になる部分を引用して、勝手な妄想を書いていきます。

 

====

 

p26

 

生命の意味を理解するうえで、祖先というものが大事な鍵になっていることは確かです。

祖先になるなんて簡単なことだと思われるかもしれません。 しかし、確かに生殖は

比較的簡単だけれども、祖先になるためには、何代にもわたって連綿と続く子孫を持た

なければならない。 これはかなり難しい注文です。

 

==>> 確かに、ちょっと考えるとそうですよね。

     私には子供が2人、孫が3人しかいませんが、その孫たちの先に繋がって

     いくのかと考えると、最近の世界情勢や環境変動などのことを含めて、かなり

     代を重ねるのは難しいんじゃないかと感じます。

 

p27

 

最近は五十世代分の繁殖を繰り返すと、どれくらいの数に膨れ上がるのか。

これを実感するために、紙を折ってみます。 一枚の紙の厚さは一世代に相当

します。 一世代経つごとに、(紙を半分に折るので)紙の厚さは二倍になる。

・・・こうやって2を50回掛けていくわけです。

・・・非常に大きな数になる。 1000兆、つまり1の後に0が15個つく数に

なります。 一枚の紙は1ミリの10分の1の厚さだとして・・・・1臆キロメートル

もの厚さになってしまう。 これは地球から火星まで届くほどの厚さです。

 

==>> う~~ん、これはまさに子どもたち向けのクリスマス・レクチャーならでは

     の分かりやすい説明と言うべき講義ですね。

     日本の老舗のお店は何代続いているのか、インターネットでちょっと検索

     してみました。

 

     「創業千年、日本最古の茶店女将」  

     https://next.rikunabi.com/journal/20141128/

     「京都市北区紫野にある今宮神社。その脇の参道にあるあぶり餅屋「一文字和助

(いちもんじわすけ)」こと「一和(いちわ)」の創業は、長保2(西暦1000

)。平安時代から続く日本最古の和菓子を、昔と変わらぬ製法で作り続けて

いる老舗中の老舗だ。世界最古となる金剛組同様、日本に7社ある創業1000

を超える会社のうちのひとつである。」

     「日本最古の和菓子を提供し続ける「一和」25代目女将の長谷川奈生さん」

 

・・・他にもあるかもしれませんが、1,000年で25代目ですから、

一代40年ということになります。

1, 000年の代を繋ぐことも凄いし、お店を続けてきたというのはさらに

凄いと思います。あやかりたい。

     私の生家は、和菓子屋でしたが、親父と兄貴の二代で終わりました。

 

p28

 

「エリート」という言葉に抵抗を感じる人もいるでしょうが、単に運だけでは祖先には

なれないということを言いたいわけです。 祖先になるのはそういう能力があるから。

生き残り、配偶者を見つけ、生殖し、食べられてしまわないよう気をつけ、食物を探し、

よき親であり、といったようなさまざまなことができる必要がある。

 

==>> 人間の場合は、千年も続けるには、戦争もたくさんあったし、自然災害も

     くぐり抜けなくてはならないし、疫病も流行したでしょうから、まさに

     運だと言いたくなるところですが、家族を繁栄させるのは能力ですかね。

 

p31

 

マイケル・ファラデーは時のロバート・ピール英首相に、

「科学の有用性とは何か」と尋ねられて、

「閣下、赤ちゃんの有用性とは何でしょうか」と答えたといいます。

ファラデーが言いたかったのは、赤ちゃんというのは大変な可能性を持っているという

ことではないでしょうか。 今はたいしたことができないかもしれないが、そのうち

たくさんのことができるようになる(科学も同じだ)と。

 

==>> 私は60才を過ぎてから、たまたまフィリピンでの戦没者慰霊の必要から、

     仏教の本を読むようになり、この1~2年は、「意識とは何か」に興味が

     湧いたものですから、宗教から、脳科学、神経学、量子論などの科学系の

     本を読むようになりました。

     そこで思ったのは、宗教はいわばどんづまりがあるけれど、科学にはそれが

     なく、日々新しい展開が続いていて心がワクワクするということです。

     今は、相対性理論と量子力学を統合する次世代の理論が出てくることが楽しみ

     です。 私が生きている間は無理みたいですが・・・・

 

p38

 

したがって脳内の突起によるコネクションを数えると、200兆にもなるでしょう。

これが何を意味しているかというと、もしこれらのコネクションがコンピューターの

スイッチ単位の相当すると考えると、脳は普通のデスクトップ型コンピューターの

1, 000万倍ものスイッチ機能を備えていることになる。

神経細胞の数とそのコネクションを考慮すると、脳は驚異的です。

 

==>> この数の凄さに圧倒されてしまいますが、たまたま昨日観た「ヒューマニエンス」

     で、「腸内細菌」の話をやっていました。

     https://www.nhk.jp/p/ts/X4VK5R2LR1/episode/te/VVWPR89W47/

     「「“腸内細菌” 見えない支配者たち」

私たちの体内で暮らす100兆もの「腸内細菌」。いったい何者でどこから

来たのか?その原点は、地球の黎明期を支配した細菌たちだ。無酸素をこよなく

愛する彼らが、紆余曲折の末たどり着いた「腸」。安住の地で様々な物質を

生産することで、母体をコントロールする術を学んだ。やがて、ヒトの免疫

を飼い慣らし、食の好みを決め、脳さえもあやつる力を持つまでになる。

生態系をあやつる“旅する生命”腸内細菌を根源から妄想する。」

・・・なんと、100兆の細菌が私たちの腸内に住み着いているそうな。

 

一方で、人体の細胞の数は、37兆個だそうです。

https://www.hokudai-rbp.jp/news/116

 

・・・これまたなんと、人体の細胞の数の3倍も腸内細菌がいるって話です。

 

p67

 

食虫植物が昆虫を食べるといっても、植物自体には歯がないので、瓶に落ちた昆虫を

そのまま食べることはできない。 

そこで食虫植物は、瓶の水の中のウジ虫たちの歯を借ります。 水に落ちた昆虫をまず

ウジ虫たちが食べ、最終的にはウジ虫たちの排泄物を食虫植物が吸収する

ですから食虫植物もほかの植物と同じく、結果として肥料を餌にしていることになる。

食虫植物は、昆虫を誘惑し、瓶の中のウジ虫たちに彼らが好んで棲む酸素のたっぷり

入ったきれいな水環境を提供することで、自分の肥料を確保しているのです。

 

==>> へえ~~、ここは驚きが二重になってますね。

     ウジ虫というと人間の感覚では汚いものの代表みたいなもんですけど、  

     「彼らが好んで棲む酸素のたっぷり入ったきれいな水環境」であること。

     おまけに、その排泄物を植物が吸収して綺麗にする上に、栄養を取っている。

     ・・・しかし、それにしても、なんでこんなに複雑な仕組みを植物が作るのか、

     なんで、そんな進化が起こったのか・・・それが不思議。

 

p82

 

イングリッシュ・タンブラーの場合、くちばしが異常に短いので、自分のヒナに餌を

与えることができない。 したがって、ヒナに餌をやる唯一の方法は、ほかの品種の

ハトにやってもらうことです。

人為選択によって作られた動物には、往々にしてこういうことが起こります。

ブルドッグも同様。 ブルドッグは頭が大きくなりすぎて、自然分娩では子供を産む

ことができず、帝王切開しなければならない。 つまり、人間に頼ってかろうじて

存続しつづけているので、人間が絶滅すればブルドッグも絶滅してしまいます。

 

==>> ここでは「人為選択」という言葉が出てきました。

     ここで、最近のニュースを思い出しました。

     https://univ-journal.jp/105988/

     「福島大学の兼子伸吾准教授とドノヴァン・アンダーソン研究員らの研究

グループは、福島県の大熊町や浪江町とその周辺に生息するイノシシを対象

DNA分析を行い、震災後に逸出した家畜ブタに由来する遺伝子の広がりを

検証。純粋なイノシシとの交配によってブタ遺伝子の割合は低下する可能性

が高いことを明らかにした。」

 

・・・つまり、人為的に品種改良がされてきた豚は、野生のイノシシには

生存競争では負けるってことでしょうか。

人為選択より、自然選択の方が強いってことですね。

 

・・ってことは?

人間自身が、いろいろと生命科学なんかを使って人体改造をやったとしても、

自然選択には負けてしまうってことでしょうかね?

 

p85

 

「自然選択」というのは「人為選択」とほぼ同じですが、ただ選択を行うのが人間では

なく自然であるという点が異なります。

・・・すべての子オオカミの中から、どの子を選択するかは、人間ではなく自然が決める。

生き残れるものが繁殖することになり、選択は自動的になされる。

・・・自然は常に、どの個体が生き残って繁殖していくかを選択していきます。

したがって、何世代も続いた「自然選択」の結果は、ちょうど何世代も続いた「任意選択」

の結果と同じようになります

 

==>> 最後の「同じようになります」の意味がちょっと分からないんですが、

     生き残っているものという意味で同じということなんでしょうか?

     敵も多い自然環境の中で生き残るのと、人間に守られた環境の中で生き残る

     のとはかなり違うような気がするのですが。

 

p91

 

自分たちが巣の成功率を決めていることを、ハエは知りません。

別に巣に飛び込みたいと思っているわけでもなく、ハエが不注意に巣に飛び入って

しまうことで、

そういうハエ捕りに成功したクモが、より繁殖しやすくなり、そういう巣作りの

遺伝子を次世代に残しやすくなるというわけです。

 

==>> ここでは、蜘蛛の巣の遺伝子がでてきました。

     蜘蛛の巣にも様々な模様、張り方があるのでしょうが、たまたまその技術

     に長けた蜘蛛が獲物をたくさん獲って、生き残るというお話です。

 

p94

 

ダーウィンの進化論は、偶然ということで物事を説明しないからです。

ランダムな遺伝的突然変異という形では入ってきますが、ダーウィンの進化論の

最も重要な部分は、偶然ではない「自然選択」というプロセスなのです。

 

==>> へえ、私は今まで誤解していました。

     突然変異の方が大事なのかと思っていました。 自然選択のプロセスが

     一番重要なんですね。

 

p97

 

なぜ私は人間にのみ「デザインする」という言葉を使って、ほかの動物の作品には

使わないのでしょう。 両者の違いは、人間が意識的に先を読んだ結果、効率よい

素晴らしいデザインをするのに対し、トックリバチやカマドドリが瓶や巣を効率よく

作るのは、先を読んでのことではなく、むしろ過去の失敗から「自然選択」によって

直接選択されてきた結果に過ぎないからです。

 

==>> 私のようなフツーの人間からすれば、「デザインする」という言葉自体に

     ヒトの意志とか意識を感じますから、ここでこだわることもないのですが、

     一方で、動物にはそういう意識は本当にないのかというのが疑問として

     残ります。 猿とかカラスとかには、結構意識があるように思えるんです。

     カラスは犬や猫より頭がいいという話もありますし。

     もちろん「自然選択」の結果だと言うほうが腑に落ちますけど。

 

p111

 

実際に生物はどのようにして「不可能な山」を登っていくのでしょう

もちろんこの場合、個体が登るわけではない。 系統、動物群、種が登るのであり、

しかも進化の永い時間軸の中で登るのです。 彼らとその子孫、そのまた子孫とその

子孫というふうに、途方もない数の世代を通じて登っていく。そしてわれわれには、

途方もない数の世代を投入する時間、つまり地質学的な永い時間をかけることが

十分に可能なのです。

 

==>> こんな形のものが生き物にデザインできるわけがない・・・というような

     摩訶不思議な進化の山を登るには、それこそ何万年、何億年という永い

     時間が必要であって、それを分析する人間にとっても地層、化石という研究対象

     が存在してくれている・・・という意味なのでしょう。

 

p124

 

突然変異による変化をわずか1%に抑えたにもかかわらず、二―ルソンは、私たちが

今見て来たような眼の進化に、驚くほど短い時間、たった25万世代しかかからない

ことを確認しました。

・・・この場合、人間の認知力は問題ではなく、重要なのは地質学上の時間のスケール

です。 地質学上の時間のスケールでは、25万世代というのはほぼなきに等しいくらい

小さい。 今問題にしている動物の一世代というのはほぼ1年くらいなので、25万世代

は100万年の4分の1程度にしかならない。

 

・・・実際、動物たちを見てみると、実にたくさんの種類の眼が存在します。

一つ一つ異なり、その多くはまるで異なる原則にのっとって機能しており、それぞれ

まったく独自に進化し、この進化は何度も繰り返し起こったのです。

 

==>> この部分では、動物や昆虫の眼がどのように進化してきたのかを詳しく述べて

     います。 

 

     こちらでちょっと生命の誕生を振り返ってみます:

     https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/04/

     「海が安定して存在できるようなった38億年前頃、ついに生命が海の中で

誕生したようです。」

     ・・・つまり、38億年という永い時間軸の中での万年というのは

     極々短い時間でしかない。 その途方もなく長い時間のなかで自然選択が

     繰り返されてきたということです。

 

p141

 

「進化」は奇跡というシミが付かずにすんでいます。 シンプルでありながら絶大に

効果的な「幸運を積み重ねる」というやり方を、地質学的な長大な時間軸に引き伸ばす

ことによって、非常に確率の低いことも可能にしているのです。

 

==>> ここではドーキンスさんは宗教的な創造論を意識しているんじゃないかと

     感じます。 神が人間を含めてすべてを創造したという話です。

     これについては、ドーキンス著「神は妄想である」で詳しく議論がされて

     いました。

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/03/post-5d9d05.html

     このブログで書いた私の感想は以下のようなものでした:

     

     1.  アメリカという国がいかに恐ろしい宗教国家であるのかを

初めて知った。 進化論を信じている人がアメリカ国民の10%

にも満たないということは驚き以外のなにものでもない。

日本が曲がりなりにも政教分離を保って、科学教育を実施して

いることを有難いと思う。

 

2.  欧米で「私は無神論者です。無宗教です。」と発言することが

いかに恐ろしい結果を招くことになるかを知っておく必要がある

このことについては、以前から「あなたの宗教はなんですか」と

聞かれた場合に、海外で、無宗教だと返事をすると変な顔をされる

ということは知っていたのですが、これほど重大な意味があるとは

全く知らなかった。

 

3.  アメリカの前大統領が、根拠のない陰謀論を背景に国民の半数の

支持を得られた理由が、この本によって腑に落ちた。

今後のアメリカも、科学と宗教のどちらを信じるかという

いわば内戦に揺れ続けるのではないかと危惧する。

 

4.  私自身のことで言うならば、

極一般的な日本人の宗教観であると思っていますので、

正直に言えば信仰心のない仏教徒で同時に神道もなんとなく

文化的に受け入れていると言えばいいのでしょう。

つまり、知識としては或る程度しっているけれど、信仰という

観念は一切持っていないということになります。

そして、今の時点で私が知りたいのは、なぜ人間は

宗教のようないわば絵空事を信じる生き物なのかという疑問です。

一方で、科学を信じるということがあるわけですが、

宗教を信じることと、科学を信じることの違いは何かという

点が非常に気に成っています。

勿論具体的に実証、検証ができるかどうかの違いはあるのですが。

 

 

p143

 

聖書の第一章にも、

「人間はすべての生物の統治者である。 動物と植物はわれわれの利益のために存在する」

とあります、

この考え方は中世を通してまったく疑問をもたれず、今日に至るまで続いています

・・・

そもそも動物というものは、積極的に人間に仕えたいのだ、人間に食べてもらいたいのだ、

という議論さえあるくらいです。

 

==>> 創造論と進化論の議論はインターネット上でたくさんありますので、

     好きなサイトでご覧いただくとして、ここではひとつだけリンクしておきます。

     私が気になるのは、アメリカでは政治や教育分野でも激しい対立があるという

     点です。

 

     「進化論と創造論」

     http://natrom.sakura.ne.jp/

     「アメリカ合衆国、特に南部では公立学校で進化論を教えるべきかどうかに

ついて対立があることをご存知でしょうか。ダーウィンの進化論に反対して、

聖書にあるように全生物は創造主が個別に創った、ノアの洪水は実際にあった、

地球の年齢は一万年以下という主張を行う創造科学(科学的創造論)という

ものがあります。一般的な日本人の感覚から見ると異様な感じがします。

しかし、日本人でも進化論を正しく理解している人はどのくらいいるので

しょうか。掲示板で議論を行った私の経験からは、日本人の間でも進化論に

ついての誤解は広くいきわたっているようです。」

 

 

144

 

この考え方は、私の好きなダグラス・アダムス著「銀河ヒッチハイク・ガイド」

というシリーズの一節を思い出させます。

 

・・・

その動物の方を、興味ありげにつついたり触ったりしはじめた。

「あるいは尻のほうもとても上等でございます」その動物はささやく

「運動を欠かしませんでしたし、穀物もたくさん食べてますので、そこにたくさん

上等な肉が付いております。」

「この動物は、本気でわれわれに自分を食べてほしいって言ってるの!?」

アーサーは驚きの声を上げた。

「なんてひどい! そんな気味悪い話聞いたことない」

「一体何が問題なんです、地球のお方?」 ザフォッドが聞いた。

・・・・

「食べてほしくないって思っている動物を食べるより、ましなんじゃないですかね」

 

==>> まあ、これは動物や植物は人間のために神が創造したという聖書の話を

     他の天体での話として皮肉っているのだと思います。

     最近はペットブームで様々な動物を飼っている日本人も多いことですから、

     こういうことが書いてある本を読めばギョッとするでしょうが、

     実際に牛や豚など食肉になる動物を育てている家の子供達は、商品とは言え、

     一所懸命に育てている間には愛着も出るでしょうから、複雑な思いだろうなと

     思います。

  

     私が15年間住んできたフィリピンのバギオ市に、ある日、日本の大学生たち

     がスタディーツアーにやって来ました。

     メインのプログラムの合間に、隣町の簡単な観光を頼まれましたので、

     フィリピンの田舎らしい部分も案内して廻ったのですが、その中に市場が

     ありました。

     「私はここで待っていますから、この市場を散策してください」と言って

     数名の大学生たちと別れました。

     しばらくすると、まだ時間が残っているのに、早々と大学生たちが戻ってきます。

     「どうしたの?」と尋ねると、

     「いろんな動物が形がそれと分る形で売られていたので、気持ちが悪くなって」

     という話でした。

     日本では、切り身がきれいにパックされて売られている肉や魚や鶏ですが、

     フィリピンの田舎では、皮を剝がされた牛や豚や鶏がその原型を留める姿で

     ぶらさげられていたりします。

 

     先日、日光街道を散歩していたとき、道路脇に鶏のケージがありました

     私はそれを見た瞬間に、おや日本にもこんな肉屋さんがあるのかと思った

     のですが、そこには「ペットショップ」という看板が出ていました。

     ことほど左様に、最近の日本は 鶏までがペット化しているのです。

 



フィリピンの田舎では、このような鶏が入れられているケージから、生きたまま

     の鶏を食肉として買っていくのがフツーです。

 

     ところで、これは日本での冗談だと思いますが、子どもたちの中には、スーパー

     などで売られている切り身が魚だと思っている子たちもいるとか・・・

     水族館に一度は連れて行ったほうがよさそうです。

 

 

== その2 に続きます ==

 リチャード・ドーキンス 特別講義「進化とは何か」を読む ― 2 生物は、DNA言語で書かれた自己複製プログラムを広めるために存在する (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

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