末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 4 最澄と空海 本来仏なら修行なんていらないんじゃない?

 

末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 4 最澄と空海 本来仏なら修行なんていらないんじゃない?

 


末木文美士著「仏典を読むー死からはじまる仏教史」を読んでいます。

 

 

p172

 

鎌倉時代の祖師たちに比べて、平安仏教の祖師たち、即ち空海と最澄は近代

になってもかなり冷遇されていた。 もちろん真言宗と天台宗の中では尊崇

されていたが、宗派の枠の外から注目されるようになったのは、二十世紀

も終わり近くになってからでしかない。

 

p173

 

ところが皮肉なことに、空海と最澄は、その後の日本の仏教のあり方を

決めたといっていいくらいの大きな役割を果たしている

最澄が激しい論争の中で確立した一乗思想と大乗戒壇、空海がもたらした

独自の構想で展開させた密教――そのいずれもがその後の日本仏教を大きく

規定していくことになる。・・・彼らの思想は、仏教だけに限らず、日本人の

発想の根底にまで及んで規定していくだけの内実を持っていた。

 

==>> これはちょっと意外でした。

     しかし、考えてみるに、遣唐使船で渡った二人は、いずれに

     せよ、唐の仏教を日本にもたらすという国の政策という

     位置づけにはあったのでしょうから、民衆に広めること

     よりも朝廷などへの報告や弟子の育成の方に力点が

     あったのではないかと考えることもできますね。

     それぞれの弟子が民衆の中に入って行く前段階として

     基礎を築いていく。

 

     さて、ここで、一乗思想と三乗思想の違いですけど、

     https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E4%B9%97-31305

     「法相宗において人の資質や能力に応じて声聞(しようもん)

・縁覚・菩薩に固有の3種の悟りの道があるとする三乗説を

反駁し,天台宗の立場から《法華経》に説く,悟りに導く

教えはただ一つしかなく,いかなる衆生もすべて仏になれる

とする一乗説を主張。一乗思想が真実の教えで,三乗思想が

方便であることを諸経論の引用で立証した。」

 

 

p179

 

もともと五性各別説はインドのカースト制度と関係するものと考えられ、

それでも必ずしもインドの仏教すべてに普及したわけではない。

ましてそのような社会的な基盤のない東アジアでは受け入れにくく、

一乗主義の立場のほうが広く受け入れやすい発想である。

宗教の持つ普遍主義的な理想主義の立場と言うこともできる。

その点では、最澄の一乗主義が日本仏教の主流となったのは無理のないところ

である。

 

==>> 五性各別説については、こちらです。

     https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E6%80%A7%E5%90%84%E5%88%A5-64797

「法相宗(ほっそうしゅう)の説で、一切の衆生を先天的に

決定されている本性から、菩薩定性、独覚定性、声聞定性、

三乗不定性、無性有情の五種に分けるもの。先天的に成仏

できるもの、できないものを示したところに特色がある。」

 

・・・これじゃあ日本では受け入れられないでしょうね。

輪廻の世界やカースト制度が元々無い日本では、少なくとも

民衆に定着することはない説ですね。

 

 

p185

 

それまでは、得度すると戸籍を民部省から治部省に移し、それによって

世俗を離れることになるのであるが、最澄の主張する大乗の僧は、戸籍

を俗人のままにしておくというのである。 真俗一貫の立場からは、

俗人の戸籍のままであることのほうが望ましいということになる。

驚くべきことに、後の明治維新後、僧に肉食妻帯を許すとともに、

まったく俗人と同じ制度の中に組み込んだその先駆が、早くもここに

見られるのである。

 

しかし、最澄の真俗一貫の理念は、決して出家者が世俗化して、俗人のように

なるというのではない。 むしろ従来の南都の仏教以上の厳しい修行を課そう

とする。

 

==>> 治部省については、以下のとおり。

     https://kotobank.jp/word/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%9C%81-74890

「律令官制の八省の一つ

太政官の左弁官に属し,五位以上の貴族の氏姓・相続・婚姻や,

祥瑞・葬礼・陵墓・僧尼・外交などをつかさどり,氏姓に関する

訴訟を扱った。」

 

・・・ここでちょっと妙だなと感じるのは、

最澄の時代には、最澄側が僧の身分を律令制度の中で、俗人のまま

でいいと出来たということなんでしょうか。身分を決めるのは

政権側の特権なんじゃないかと思ったんですが。

それに対して、明治政府が、僧の身分を決めるのは自然だとしても、

肉食妻帯を許すというのも何だか変に思えます。

 

 

p187

 

世俗の人々を救済してこそ本当の菩薩だ、という理想は確かに

ある程度実現された。 しかし他方、あまりに世俗化しすぎた仏教は

しばしば堕落という批判を招くことにもなった。 その両面を含む

理念と制度の確立を果たしたのが最澄だった。

 

==>> p186には、「恐らく最澄の念頭にあったのは一時代前の

     行基の活動であっただろう」と書いてあります。

     今でいうならば社会のためになる活動をするNPO活動みたいな

     ことなのかもしれません。

     そのような活動は、キリスト教系ではよく見聞きするのですが、

     仏教系ではあまり聞きませんね。

     

「あまりに世俗化しすぎた仏教はしばしば堕落という批判

を招くことにもなった。」という部分ですが、最澄の時代に

どんな状況であったかをwikipediaでみてみますと、

 

「仏法が盛んになってくると、今度は戒律などを無視する

僧などが増えたりしたため、聖武天皇の時代に鑑真が招か

れた。鑑真は東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けた。」

「その後これら寺院群は政治に口を出すようになった

桓武天皇は、彼らの影響力を弱めるために平安京に遷都し、

空海及び最澄を遣唐使とともに中国に送り出し、密教を学ば

せた。新しい仏教をもって、奈良の旧仏教に対抗させよう

としたのである。」

・・・ これを読む限りでは、元々南都六宗はアカデミック

な学派的なもので、民衆の為というより政権との関係が

大きかったようですから、その僧たちが堕落したという

意味は、戒律を破ったり政治に口出しするというような

意味だったのでしょうか。

 

 

p189

 

最澄の主張する大乗戒は、そのような具体的な共同生活のための規律と

いう意味を失っている。 そうではなく、一切の諸仏を師として、一切

の諸菩薩とともに歩むという、きわめて抽象化された精神的な理想

表すものに変っている。 ・・・人々のために邁進することのほうが

大乗にふさわしいということになる。 大乗戒は、そのような菩薩の

自覚の表明ということができる。 そして、そのような誓いを立てる場

が戒壇ということになる。

 

==>> 僧の共同生活のための規律ということならいわゆる小乗仏教。

     庶民の為の僧の規律なら、みんなを救うという大乗の意味から

     言っても、人々のためにという誓いになりますね。

     私は一度しか比叡山には行ったことがありませんが、その時に

     「一隅を照らす」という言葉が心に残りました。

     どういう意味なのかをチェックしてみますと:

 

     https://ichigu.net/person/index.php

     「この『山家学生式』は、伝教大師が『法華経』を基調とする

日本天台宗を開かれるに当たり、人々を幸せへ導くために

「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いを

著述され、嵯峨天皇に提出されたものです。偉大な教育者でも

あった伝教大師は、仏教の教えに基づいて自ら進んで善行に

努力する人、与えられた持ち場や役割を誠実に務めるリーダー

(指導的人格者)、すなわち大乗の菩薩を育成することに

心血を注がれました。」

・・・ということです。

 

                         

p196

 

明治以後、日本が急激な近代化を急ぐ中で、・・・仏教は過去の封建時代の

恥ずかしい遺物であり、西洋近代の栄光の前にはとても誇るべきところのない

ものと考えられた。

 

・・・そのような状況の中で、仏教側も近代化を進めて・・・

その中心的な力となったのは浄土真宗であった。 これは、浄土真宗が

仏教諸派のなかでも最大の勢力であったというだけでなく、・・・近代の

世俗主義的、合理主義的な動向に合致していたという事情による。

 

p197

 

それに反して、仏教界の悪役とされたのが、いわゆる旧仏教の天台や真言

であり、とりわけ密教は非合理的、呪術的、迷信的で、前近代の日本の

悪いところを代表しているかのように位置づけられた。

 

==>> おお、そういう歴史があったんですね。

     なんと私は、その浄土真宗から真言宗にうっかり乗り換えて

     しまったわけなんですねえ。

     確かに、真言密教は、非合理的、呪術的、迷信的です。

     あちこち地元のお寺や神社を七福神巡りということで

     歩き回ったんですが、今どきの感覚で眺めてみると、

真言宗のお寺が一番面白いし、エンターテインメントな

雰囲気があります。

     おまけに、高野山の偉い坊様が、最先端物理学と密教の

     類似性を語ったりしていますから、今後はどういう展開に

     なっていくのでしょうか。

 

p204

 

津田(真一)によれば、「大日経」は大乗仏教の利他行の立場をもっとも

徹底した菩薩の理想を表わすものであるのに対して、「金剛頂経」は

他者の存在を無視して一気に悟りへと達しようという異なったタイプの

宗教であり、後者こそが密教そのものである。 ・・・空海はその矛盾

を自覚し、最終的には大乗の利他行の道を選びとったという。

 

p205

 

そのような緊張関係を孕んだ両部の二元性の統一の思想は、後には通俗化、

民衆化して男女の性的な一体化を意味づける理論ともなり、また、両部

神道に見られるように、神道の形成にまで影響を与えるようになってゆく。

空海が高度な理論として提示した総合的な思想は、その高度で難解な部分を

卑俗化することで、仏教が土着化し、日本に定着していく基盤を作るの

である。

 

==>> こちらのサイトで、大日経と金剛頂経の関係を復習してみます。

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/07/post-14446b.html

      「p29 

久米寺の宝塔で、空海は「大日経」という経典を

それには空海が今まで知らなかった「密教」の教え、

つまり宇宙の真理そのものである大日如来の教え

が書かれていた。

その内容は、「悟りとはすべての者を救おうという

慈悲の心(大悲)を持ち、求めて努力しようとする決意

(菩提心)にはじまる。 悟りの究極の目的は自己を

顧みず他者に尽くすこと(方便)にある」と説くもの

だった。

      空海は、これこそ真理だと直感したが、その内容は

あまりにも難解であり、空海の周りはおろか、

国内には尋ねる師もいなかった。」

 

・・・上に「金剛頂経こそが密教だ」と書いてありますが、

こちらで読んだ本を読み返してみると・・・・

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2020/07/post-6953b4.html

 

「p71

密教は六世紀ころ、インドにおいて、ヒンドゥー教の

影響を受けながら仏教の一派として成立した。

現世での救いを主張した密教は、呪術や他の宗教の

神を取り入れながら発展していった。

 

初期の密教は前期密教という呪術的な要素を取り

入れたものだった。体系化されていないため

「雑密」とも呼ばれた

 

「大日経」や「金剛頂経」の成立によって教理の

体系化が図られ「純密」とよばれる中期密教

生まれた。

中国に伝播したこの密教を、空海が日本に

持ち帰って成立させたのが「真言宗」である。」

 

・・・と言う事ですので、ヒンドゥーの影響が濃いところ

が「金剛頂経」に出ているということでしょうか。

 

 

p205

 

空海は、「大日経」住心品に基づきながら、常に顕教と対比し、その究極に

密教を見ようとするのであり、「金剛頂経」に説くような密教の立場を

ストレートに論ずるというわけではない。

空海と併称される偉大な密教家である覚鑁(かくばん)10951143)は、

徹底的に密教の立場のみを説いており、それと較べると、空海は顕教を

はるかに強く意識している。

 

==>> さて、この覚鑁さんなんですが、wikipediaによれば、

     「肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分2011 新義真言宗

大本山誕生院)生まれ。」

「平安時代後期の朝野に勃興していた法然らの念仏・浄土

思想を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した

「密厳浄土」思想を唱え、「密教的浄土教」を大成した。

即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来と

いう普門総徳の尊(全ての仏徳を備えた仏)から派生した

別徳の尊であるとした。」

 

・・・なんで私がここに引っ掛かったかと言えば、

この方こそ、私が準檀家になっている真言宗智山派の

興教大師なんですねえ。

浄土真宗・親鸞さんの師匠である法然さんとの繋がりが

あるっていうことと、阿弥陀如来が繋がったってことと、

我が故郷のお隣の県・佐賀の出身というのが身近に感じ

られるという・・・お話です。

まあ、どうでもいいことなんですが。

それはともかく、「密厳浄土」が、なんだか浄土真宗の

考え方に似ているなあと感じたのは当たらずとも遠からず

でした。

 

 

p206

 

大乗仏教の中には、悟りは決して遠くにあるものではないという観念も

あった。 しかし、インドではそのような観念は発展しなかった。

 

p207

・・・・ところが、東アジアに入ってくると、おともと輪廻の発想が

なかったこともあって、現世で悟りを可能と考えるような思想が発達した。

 

・・・密教の即身成仏という思想も受け入れられたが、そもそも密教自体が

中国では大きく展開することがなかったために・・・

それに対して、日本では即身成仏が思想上の大きなテーマとなった。

 

==>> なるほど。 空海が唐で密教を学んだ時、胎蔵界と金剛界は

     まだ融合してはいなかったらしいし、その後仏教は弾圧

     されたりしていますから、日本での方が発展したということ

     なのでしょう。

 

 

p209

 

ちなみに、後の覚鑁は六大ではなく、五大を「五輪」と呼んで根本原理と

して立て、それを通して宇宙的な原理と人間の身体を対応させた

 

・・・「五輪」の思想は、密教的な大宇宙と小宇宙たる人間の対応という点では

分かりやすい。 空海の「六大」には「識」を入れることによって、物質界(色)

・精神界(心)を網羅しようとしたところに特徴がある。 

 

・・・こうして仏としての物質界と精神界の一体性を言うためである。 このように

理論としては総合的ではあるが、覚鑁のような大宇宙と自己とのきれいな対応

つきにくくなり、いささか曖昧な印象を与える。

 

==>> 五輪塔というのがお寺さんにありますが、wikipediaではこの

     ような説明があります。

     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%BC%AA%E5%A1%94

     「五輪塔は、下から方形=地輪(ちりん)、円形=水輪(すいりん)、

三角形(または笠形、屋根形)=火輪(かりん)、半月形=風輪

(ふうりん)、宝珠形または団形=空輪(くうりん)によって構成

され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大

を象徴する。これらは『大日経』などの経典に現れる密教の思想の

影響が強い。}

「初期の五輪塔の普及の要因としては、高野聖による勧進の影響と

いわれる。平安末期に『五輪九字明秘密釈』を著した覚鑁も元は

高野聖といわれる。高野聖による五輪塔による具体的な勧進と

しては、五輪塔の形をした小さな木の卒塔婆に遺髪や歯などを

縛り寺に集め供養する。」

 

・・・つまり、空海さんは独創的に六大を唱えたんだけど、

Wikipediaで「覚鑁は真言宗において、空海以外では唯一の仏教哲学

「密厳浄土」思想を打ち立てた僧として高く評価されている。

例えば、宮坂宥勝は「鎌倉仏教全てを包摂した」としており、

司馬遼太郎は「空海の風景余話」に於いて、「空海以外で唯一の

真言宗の哲学者」という捉え方をしている。」

・・・と書かれているように、真言宗の空海以外の哲学者で

ある覚鑁さんは、インドで元々唱えられていた五大に戻って

五輪を展開したということになりそうです。

 

p211

 

即身成仏は本来成仏と速疾成仏の二つの側面を持っているが・・・・

・・本来成仏の説に従うならば、この世界はそのまま仏の現れであり、

それならば改めて速疾成仏を求める必要もないことになるからである。

 

・・・このパラドックスは密教のみに限らない。 大乗仏教の理論でも、

この世界を諸法実相とか法界であるとかいうとき、そのまま理想的な仏

の世界ということになり、そこから改めて修行して悟りを開く必要がある

のか、という疑問が湧く。 

 

・・・いわゆる本覚思想というのはまさしくこの本来成仏的な発想を

極端なまでに推し進めたもので、修行無用論として批判の槍玉に挙げられる

ことが多い。 

 

p212

 

密教の即身成仏は、通常の顕教では到達できない奥深い仏の世界だと言うと、

どれほど本来成仏だといわれても、凡人の及ばない遥か彼方の世界のことになり、

我々とは無縁のことになってしまう

 

p213

 

院政期頃から仏教は次第に大衆化してゆく。 その中で光明真言や

阿字観など、在家者にも可能な密教の形態が発展する。

 

==>> 私が今までに読んできた本の中では、空海さんの真言宗の場合は、

     即身成仏という言葉がよく知られてはいるんですが、

     結局自分でも阿字観などの最低限の修行はしなさいよという

     ことみたいです。

     親鸞さんの浄土真宗は、悪人正機説にも見られるように、

     また、南無阿弥陀仏を唱えるべきかどうかという点でも、

     ほとんど修行と思われるものはないと理解しています。

     浄土真宗では迷える霊そのものも無いとしていますしね。

     だから「冥福を祈る」とは言わないそうです。

 

p215

 

あえて通俗的に言ってしまえば、この自然がすべて仏の法身であり、小川の

せせらぎも、森をわたる風の音も、すべて仏の説法だということになる。

 

p216

 

・・・この世の中にそうでないものは何もないことになる。汎神論とも

言ってよい自然説法の主張は、日本人の自然観にマッチするところが大きく、

後に修験道などにも取り入れられて、広く普及することになる。

 

==>> 八百万の神々というのが日本的な宗教観の底辺にあると思いますが、

     それが何から出てきたのかというと、神道だということになって

     いて、 こちらにはこのように書かれています。

     https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E7%99%BE%E4%B8%87%E7%A5%9E-874603

     「文献上の初見は『古事記』上巻の「天(あま)の岩戸」の段にある

「八百万神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて」

である。」

・・・ただし、その後、仏教の大きな影響を受けて、特に密教が

神道に取り込まれたそうですから、日本人の現代の宗教観が

どちらにあるかというのは、なかなか難しいのではないかと思います。

 

 

== その5 に続く ==

 末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 5(完) 親鸞と「歎異抄」、道元の座禅、そして国家主義と結んだ新日蓮主義 (sasetamotsubaguio.blogspot.com)

 

 

 

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