末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 5(完) 親鸞と「歎異抄」、道元の座禅、そして国家主義と結んだ新日蓮主義

 

末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 5(完) 親鸞と「歎異抄」、道元の座禅、そして国家主義と結んだ新日蓮主義

 



末木文美士著「仏典を読むー死からはじまる仏教史」を読んでいます。

  

p216

 

「第十章 贈与する他者 ―― 親鸞「教行信証」」

 

==>> 第九章は 

     「この身のままに仏となる ―― 空海「即身成仏義」

     と書いてありました。

     タイトルは、空海さんの方が分かりやすく、親鸞さんは

     「贈与する他者」と意味深な感じになっています。

 

p229

 

その親鸞の主著が「顕浄土真実教行証文類」通称「教行信証」である

・・・しかし本書は、いきなり読んでも何が何だか分からない。

そのほとんどが引用文で占められ、親鸞自身のコメントはごくわずか

一種の資料集ともいうべき性質のものだからである。

 

・・・その課題は何かといえば、・・・浄土教を一般仏教の理論によって

どう解釈するのかという、(法然の)「選択集」で未解決だった問題を解明する

ところにあった。 本書は教・行・信・証・真仏土・化身土の六巻からなる。

 

==>> ここに書かれていることは、私も何年も前に読んで、そう思い

     ました。 何を言いたいのかを理解するのが大変でした。

     その時の私の感想文は以下のとおりです:

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/06/post-d948.html

「p32 

『教行信証』という作品を読み解くときの難しさが、まさにこの点に集中的にあらわれて、前方に立ちふさがることになるのだ。 いま私は、親鸞における主題や思考軸に揺れが生じ、目標までが軌道修正を余儀なくされることになると言ったけれども、かれのこころの動揺は、すでにこの総序にあたる文章のなかにその片鱗を見せている。

・・・・ここではそれは「教行証」とだけあって、「教行信証」とはなっていない。 「信」という重要な一文字が欠落している。 いや、意図的に除かれている。

(要するに、親鸞自身の目標やら主題やら思考がはっきり分からんっていっているんですね。 最初から最後まで疑問だらけだってこと。)

p43 

『教行信証』を読むとは、結局のところこのような迷路を歩いていくということなのだ。 親鸞の主題、親鸞の思想に接近していくための、こちら側のもう一つの思考実験の旅、ということになる。 そういう思考の旅をいわば強いられることになるのだ。

(親鸞さんは結局何を言いたいの? って疑問が常に付きまとう、ってことのようです。)」

 

・・・これが親鸞さんが「教行信証」を書いた書き方なんですよね。

引用がむちゃくちゃ多くて、自分のコメントがちょこっとある。

本人の主張がどこにあるのか イマイチよく分からない。」

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/06/post-ce90.html

「p26

だが、この親鸞によって忌避されたはずの「無常」が、後世になって再浮上してくる。 阿弥陀如来信仰圏における異変の発生、と言っていい。 いわば本願寺教団の拡大と大衆化にともなって生じた変化である。 ときは、本願寺第八代の法主、蓮如の世紀、すなわち応仁の乱として知られる十五世紀である。

 

(親鸞さんの時代はあまり浄土真宗はパッとしなかったんですね。その後、蓮如さん(1415~99)がバリバリの営業マンで、平易な文章と講組織で大衆化をはかり、福井県を中心に北陸一帯にチェーン店開拓をすすめて力をつけ、京都にその本店である本願寺を再建したそうです。 やっぱ、経営者次第、あるいは、商品が元々売れるもの、魅力的なものだったってことになりますか。 でも、そこで、営業戦略としては「無常」を取り込まざるを得なかった。 ・・むずかしい。)」

 

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2011/06/post-ce90.html

「p234

その思考のプロセスを明示的な形であからさまに表現することは、さすがの親鸞にも、ためらいがあったのかもしれない。 そのことに怖れの気持ちを抱き、慎重になっていたのかもしれない。 それが自分の作品にたいして、あえて『選択本願悪人念仏集』とか『選択本願悪人往生集』といったような形で命名することを回避することにつながったのではないかと私は推測する。 もしもかれがそのような挙にでることがあれば、世間はそれを師にたいするあからさまな挑戦、反逆とうけとることが避けがたかったからだ。 『選択本願念仏集』という師の仕事にたいする冒涜的な行為と映ったとしても、反論のしようがなかったからではないだろうか。

 

(で、要するに。 親鸞さんは尊敬する法然さんに むちゃくちゃ遠慮していたってことみたいなんですね。 それで、本当は心の中に、「悪人でもみんな助けてあげたい。」って思っていながら、それを赤裸々に主張するような本は書けなかった。 だれでも簡単に、明快に、すっきりと、理路整然と、分かり易く、書いちゃうと、主張しちゃうと、ヤバイよねって思ったんじゃないか。 だから、「あんた何が言いたいの?」って思われるような感じで、本のタイトルも「方法序説」みたいなノリの「教行信証」なんて、まったく主張の意味のないタイトルにしちゃった。 その上、グダグダと みんなが信奉している格式の高い経典から引用、引用で、これでもか、これでもか、分かってよ、分かってよ、って積み重ねて、それで、自分の本音を 小出しにちょこちょこと書いて言った、ってことみたいなんです。)」

 

==>> 長々と2011年に書いた感想文を振り返りました。

     この親鸞さんの「教行信証」の引用文の多さと分かり

     にくさはご理解いただけたかと思います。

 

     それで、ふと思ったんです。

     私のブログの書き方、読書感想文の書き方も似ているなと。

     引用文が多くて、私のコメントはちょこちょこで、

     何を言いたいのか主張するところが分からない。

     コピペ大王みたいな感じ。

     私の感想文のブログは、私の外付けメモリーでして、

     何かまとまった私の考えを書こうと思っているわけでは

     ありません。

     本を読んで、それをブログにアップして、自分の記憶として

     残すことと、それを振り返りながら、自分が腑に落ちる

     主張がどこにあるのかを試行錯誤しながら見つける作業を

     していると思ってください。

 

     そういう意味では、空海さんの天才的、理路整然とした目的意識

     が明瞭な著書と較べると、親鸞さんの右往左往する著書は

     私には、理解は困難だけど、身近に感じるんです。

 

p233

 

親鸞は、その信の心は自分の中に内在するものではなく、弥陀から与えられた

ものであるという。 如来蔵のほうが本来の心であって、煩悩は客塵といわれ

て、外から塵のように不着した非本来的なものだと解される。

ところが、親鸞はそれを逆転する。 煩悩こそ、人間の心の本来的なあり方で、

清浄な悟りの心は自分の内にはなく、外から弥陀によって与えられるしかない

それは純粋な贈与である。

 

==>> ここで第十章のタイトル「贈与する他者」の意味が出てきました。

     ここで、如来蔵を確認してみますと、

     https://kotobank.jp/word/%E5%A6%82%E6%9D%A5%E8%94%B5-110692

     「如来蔵はもと「自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)

客塵煩悩染(きゃくじんぼんのうぜん)」(心は本来清浄だが、

一時的な煩悩の付着によって汚れている)の説から展開した

思想で、『如来蔵経』に始まり、『不増不減(ふぞうふげん)経』

『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『涅槃経(ねはんぎょう)』など

に受け継がれて発展し、『宝性論』によって学説として組織化

された。中国・日本では『法華経(ほけきょう)』の一乗思想と

あわせて、おおかたの仏教諸派の基本説となっている。」

 

・・・つまり、この基本説をひっくり返したということに

なりますね。

一人一人の心は本来清浄で仏様がいるのだと言ってしまうと、

それこそ空海さんの言う即身成仏には修行などは不要という

話になりそうですから、親鸞さんのこの考え方のほうが

修行が必要だという宗派にはもってこいのような気がします。

一人一人は煩悩の塊だから、弥陀から清浄な心をいただくのだ

とした方が、修行の必要性を説くには都合が良さそうですからね。

 

p236

 

親鸞の説の場合も、死=往生=涅槃=成仏であるから、実質的には同時代の

即身成仏説とまったく変わらないことになる。 ・・・これまでほとんど

このことが指摘されなかったのは、密教の研究者と親鸞の研究者に、相互交流

が無かったことによる。

 

==>> 私も今までに空海さんの密教やら親鸞さん関連の本を読んで

     きましたが、非常に似ていると思います。

     研究者の間に相互交流が無かったというのは驚きです。

 

p237

 

親鸞というと、無限抱擁的に誰でも無原則に救われると説くかのように

思われがちであるが、実はまったくそうではなく、悪に対しては強く糾弾

する態度を取っている。 親鸞はかなり厳しい原理主義者なのである。

 

p240

 

親鸞といえば「歎異抄」、とりわけその中の悪人正機説――それが世間の常識

である。 ・・・世間の常識とは逆に、「歎異抄」の説をそのまま親鸞説

として認めてよいかどうか、かなり難しいところがある・・・・

 

p241

 

「不可思議の放逸無慚のものどものなかに、悪はおもうさまにふるまって

よいと仰っているのは、かえすがえすもあってはならないことである。

(「末灯鈔」)」

これが親鸞の基本的な姿勢であった。 どんなに弥陀の誓願に身を任せた

としても、悪はどこまでも恐れ、なさないようにしなければならない。

ところが「歎異抄」の第十三条は、あきらかにこのような親鸞の態度と

異なり、逆にこのような造悪無礙=本願ぼこりに対する批判を再批判して、

造悪無礙=本願ぼこりを肯定しているのである。

 

p242

 

それは、親鸞没後における関東の門人たちの中での新しい展開として、

きわめて興味深いものである。

 

==>> 歎異抄を書いたのは唯円と言われています。

     こちらのサイトでは、浄土真宗の歴史の中でこのように

     書かれています。

 

     https://xn--udsw7h21snjj.jp/history/#section1

     「仏教書『歎異抄』は、親鸞聖人がお亡くなりになった後、

お弟子が、親鸞聖人のお言葉を書き残したものです。その著者

は3代目の覚如上人に教えを伝えた唯円といわれています。」

 

親鸞は、1173521 - 1263116日の生没年で、

唯円は こちらのサイトには

https://kotobank.jp/word/%E5%94%AF%E5%86%86-144532

「生没年は一説に1222―1289年。鎌倉中期の浄土真宗の僧。

親鸞(しんらん)の門弟。常陸(ひたち)国河和田(かわだ)

(茨城県水戸市)の人。 ・・・1288年(正応1)冬に上洛

(じょうらく)し、親鸞から伝えられた法義を覚如に教示した

ことがみえている。」

 

==>> 上記の年号から判断すると、親鸞は1263年に

     亡くなって、25年後の1288年に、唯円が

     覚如に教示したとされていますから、

     その間の民衆への宣伝方法にもいろいろと工夫が

     あったんでしょうね。

 

ただし、上記の歴史のサイトで、その後を読むと、

「室町時代になると、1415年、親鸞聖人の教えを正確に、

最も多くの人に伝えた蓮如上人が現れます。・・・それから

蓮如上人は、滋賀県を中心に、精力的に布教されます。

最初のお手紙は47歳のときに書かれたといわれ、これを

『御文』といわれます。この蓮如上人の活躍により、浄土真宗

は燎原の火の如く広まって行きます。」

とあります。

 

他の本でも読みましたが、親鸞さんの教えはしばらくの間は

ぱっとしなかったようです。

 

 

p247

 

道元は、「そのまま仏」ということのレベルをずらす。 何もしないで

そのままでよいというわけではない。 座禅修行は不可欠である。しかし、

修行の結果、仏になるというのでもない。座禅修行をしていること、それが

悟りであり、そこに仏の世界が全開する。

 

・・・つまり、本覚思想の「そのまま仏」ということの実現を、ひとつ

レベルを上げて、修行中の状態に移すのである。

 

p251

 

「正法眼蔵」の大きな課題は、このような道元自身の冥想体験をどのように

言語化し、表現して伝えていくかという点にあった。

 

p266

 

知らず知らずのうちに道元は、後に「原始仏教」と呼ばれて再評価

されるようになる、基礎的な実践や、業・因果説に到達してしまって

いたのである。

 

p267

 

道元が晩年に到達した十二巻本の意図は、それまでの東アジアの大乗仏教

の体系をすべて解体し、もう一度原始仏教から再構築しなおそうという、

途方もなく雄大な仏教再建計画だったのだ。

 

==>> この十一章では道元の話なんですが、個人的にはあまり興味

     がないので、ちょっとだけです。

     しかし、私自身が、親鸞さんの関係から法然さんなどを読み、

     その後さらに根本であるお釈迦さんの原始仏教を読んで

     日本の仏教とはほとんど別物だなと思って、興味を掻きたて

     られた点は、道元さんにちょっと似ているのかもしれません。

     おこがましいですけど。

 

p270

 

何とも勇ましい宣言である。 田中智学(18611939)による近代日蓮主義

仏教の輝かしい出発である。 明治34年のことであった。 智学は「万物

はすべて侵略なり」として、侵略的な態度で折伏(悪法を打ち砕き、積極的

に正法に従わせること、)に努め、全日本、そして全世界を「法華経」で

統一しようという大理想を掲げた。

 

・・・智学は後に国柱会をつくり、国家主義への道を邁進することになる。

その流れに、石原莞爾ら急進的な日本ファシズムと日蓮主義の結合が生まれる。

 

p278

 

まず、法然批判という・・・攻撃対象を念仏に絞っている、それも念仏一般

ではなく、法然の教えに限定している。

 

p279

 

「安国論」で念仏批判だけが突出しているのは、当時日蓮がそれだけ

「選択集」に関心を持って、深く読み込んでいたということを証するもの

である。

 

・・・法然こそが、日蓮に「法華経」を絶対視する道を開いた最高の

反面教師だった。

 

==>> 折伏という言葉は、云十年振りに見ました。

     私がまだ小さかった頃に、漠然と「折伏」をやる宗派は

     怖いという感覚を持たされました。

     それが何なのかは分かりませんでした。

     私が生まれたのは戦後5年経ってからのことですから、

     おそらくその頃は日本ファシズムと絡んだ日蓮主義が

     毛嫌いされていたのでしょう。それに、うちは浄土真宗

     でしたから、なおさら。

 

     比叡山には一度しか行ったことはありませんが、

     そこで、「にない堂」を見ることができました。

     観光案内のサイトによれば、

     「にない堂は阿弥陀如来を本尊とする常行堂と、普賢菩薩を

本尊とする法華堂の2つ同じ形をしたお堂。この2つ堂は、

渡り廊下によってつながれ法華と念仏が一体であるという、

比叡山の教えを表しているといわれ」

と書いてあります。

日蓮さんは、この母校での教えを破って、法華経だけを

推し進めたということになるのでしょうか。

 

p292

 

「種種御振舞御書」(1275)では、自己の生涯を振り返っているが、そこでも

「妙法蓮華経の五字を末法の始めにこの世界に広める瑞相として日蓮は

先駆けをなす」と、自らの歴史的役割を確認し、自分自身に聖人性を

認めている。

 

p293

 

宗教を否定し科学を標榜したマルクス主義でさえも、未来に理想の

共産社会という幻想を描くことなしには、行動の源泉となることは

できなかった。 合理性だけで社会や国家が動くと考えるほうが

間違っている。

 

==>> まず、自らに聖人性を与えるような教祖ってどうなんで

     しょうかねえ。 お釈迦さんだって、個人崇拝や偶像崇拝

はやめろと言っていますしね。

     私は、信仰は個人的なものであるという考えですから、

     思想を押し付ける団体は大嫌いです。

     元々私は政治的にも宗教的にも日和見ですからね。

     しかし、世界には、宗教国家があったり、アメリカでは

     自由民主の旗の下に、様々な原理主義があるようですから、

     こういう動きは要注意だと思います。

     非合理的な思想で政治をやられちゃかないません。

 

p297

 

「妙貞問答」三巻(1605)は、日本人宣教師不干斎ハビアン

15651621)の著作で、キリスト教側から仏教並びに儒教(儒道)・

神道を批判して、キリスト教の教義を述べたものである。

 

p300

 

禅にしても、浄土教にしても、従来の複雑な教理を整理し、単純でありながら

もっとも根本的な原理を単一的なところに求めていく点に特徴がある。

それは、ある面でキリスト教の一神教を受け入れる素地となったとも考え

られる。 

 

==>> 随分前にインターネットで発見した ルイス・フロイスの日本史

     に記載されていた情報だったと思うんですが、

     宣教師が日本の農民あるいは庶民に、キリスト教のことを説明

     したところ、そういう宗教なら既にあるよという答えだったそうです。

     当初はキリスト教を大日教と訳していたためなのか、あるいは、

     阿弥陀一神教である浄土真宗だったのか・・・・

 

p309

 

キリスト教の世界観にとって、虚無はもっとも恐るべきものであり、

西洋では、仏教はずっと後の時代までニヒリズムと理解され、嫌悪され

続けた・・・・。 それ故、「妙貞問答」に見られる「無」に陥るものと

いう仏教理解は、ハビアン一人のものというよりも、西洋から来た宣教師

を含めて、キリスト教側のある程度共通の認識ともいえるものである。

 

==>> 科学を生んだキリスト教が科学と戦い、虚無の宗教と思われた

     仏教が今や最先端物理学と馴染む思想だと思われるような

     時代になってしまいました。

     特に密教の曼荼羅などが宇宙論と比較されるなどは、

     素人目にも分かりやすいですね。

     空海さんがそこまで見通していたかは疑問ですが。

  

やっと読み終わりました。

いろいろと知らないことがあって、「仏典をよむ」というタイトルからは

まったく予想できなかった面白い内容がありました。

 

 

== 完 ==

 

 

                                                          

 

 

 

 

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