末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 3 「日本霊異記」と日本人の宗教観
末木文美士著「仏典を読む」を読む ― 3 「日本霊異記」と日本人の宗教観
末木文美士著「仏典を読むー死からはじまる仏教史」を読んでいます。
p123
複雑な範疇を何重にも重ね合わせ、錯綜した真理の世界を照射しようという
作業は、唐代に入って華厳の法蔵(643-712)によってさらに徹底的
に推し進められる。 しかし、法蔵においては、智顗が保持していた実践
への志向が失われることによって、・・・ほとんど机上の空論というところ
まで進んでしまう。 そうなると、反動としてまったく正反対に、もっと
単純化された実践が要請されるようになる。 頓悟を主張し、不立文字の
立場から一切の理論を捨て去った禅宗が急速に勢力を伸ばすのは、このような
情勢によるものであろう。
p124
日本においても事情は似ている。天台宗を伝えた最澄(767―822)は
すでに智顗の理論の複雑さをかなり切り捨てる形で輸入している。
とりわけ、いつゴールに到着するか分からない智顗の長大な修行の道順を
単純化して、即身成仏を主張することになった。
段階論よりも「即」の面を押し出す方向を取ったもので、禅宗の頓悟と軌を
一にするということができる。
==>> 頓悟の意味ですが・・・
https://kotobank.jp/word/%E9%A0%93%E6%82%9F-586664
「一挙に悟ること,またはその悟りをいう。段階的に悟りに
達する漸悟に対し,本来成仏の理を前提するもの。インド仏教
が,漸悟をたてまえとするのに対し,中国では,古く竺道生が
頓悟を説いたといわれて,漸悟すら頓悟的に受けとめられる。」
不立文字はこちら・・・
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E7%AB%8B%E6%96%87%E5%AD%97-126999
「禅宗の根本的概念。禅における悟りは文字や言語で伝達される
ものでなく,心から心への伝達(以心伝心)と,生命をかけた
本質への直視(見性(けんしょう))こそ肝要とする。つまり経論
という文字をはなれ,ひたすら座禅により釈迦の悟りに
直入する意。」
==>> 「不立文字」という文字は知っていましたが、このような
背景を持つ言葉だとは知りませんでした。
浄土真宗の両親の家で育ちましたから、禅宗とは一番遠い
ところにいたのかもしれません。
般若心経や禅宗には、日本文化の匂いがプンプンしますから、
なんとなく憧れみたいなものはあったんですが。
それにしても、頓悟にせよ、即身成仏にせよ、日本人に
限らず、速習コースがみんな好きなんですね。
空海さんの密教は、十段階をしっかり決めていますけど、
それでも即身成仏を認めているんですから不思議です。
p145
死と死者の問題は仏教の裏を流れ続け、ここにも見事に結実している。
禅が己事究明を主張しながら、師承関係を重視し、祖師を重視するのは、
しばしば矛盾しているかのように言われる。 しかし、そうではない。
禅が個の中で完結していると思うほうが間違いなのだ。 今日の仏教の
葬式の原型は禅宗によって確立されたといわれている。 それは決して
偶然のことではない。
・・・死は理性をもって理解できない問題とされ・・・生きる智慧としての
仏教こそが本来の仏教であると解釈されるようになった。
・・振り返ってみれば、じつは仏教はブッダの死から始まっていたのでは
ないか。
==>> 私の理解も、原始仏教のスッタニパータなどからは、釈迦は
形而上学を語らなかったとされているので、死を生きている
間の死の恐怖をどう乗り越えるかという点にあったのでは
ないかと思います。
ところで、日本の葬式仏教のことですが、禅宗、ことに
曹洞宗が以下のような経緯で葬式の形を整えたそうです。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/05/post-1577.html
「曹洞宗は葬式仏教の生みの親」 だと書いてあります。
どういうことかっていうと・・・
ー 曹洞宗には、修行段階にありながら亡くなった雲水のための
「亡僧葬儀法」というやり方が示されていた。
これが一般信徒の葬儀に応用された。
ー 剃髪して出家したことにし、その上で戒律を授け、
さらには戒名を授ける部分が含まれている。
つまり、死者をいったん僧侶にするのである。
ー 死後に出家するというのは、仏教の伝統的な考え方から
はずれるが、この方法が定着した。
ー そして、このやり方が、他の宗派にも伝わっていった。
そして、元々は葬儀とは関係のなかった日本の仏教が
葬儀、法要という新しい領域を開拓して、曹洞宗も全国的に
セブン・イレブン以上に伸びて行ったということだそうです。
p150
アジアの他の地域の仏教とあまりに違いすぎて、他の地域の仏教者たちから
見ると、これでも仏教といえるのか、と疑問が呈される。
とりわけ僧侶の妻帯や肉食は、いちばん基本となる戒律違反というわけで、
まじめなアジアの仏教者の顰蹙を買うことになる。
・・・仏教ブームといわれながら、檀家制度の崩壊でお寺離れは進んでいて、
仏教界は危機的な状況にある。
神仏習合という現象もまた、日本の仏教の分からなさのひとつとしてよく
取り上げられる。 日本人の宗教的無節操として悪評を招いたこともあった。
==>> 確かに、そういう無節操な宗教観だと思いますが、
その無節操な感じが私のような庶民にとっては気楽で
いいなと思います。 少なくともいわゆる原理主義よりはずっと
いいんじゃないかと思うんです。
私自身、終活の事情で、うっかり浄土真宗から真言宗
に宗旨替えしてしまったんですが、コロナ禍ということも
あって、ご近所を散歩している中で、なんでこんなに
真言宗のお寺が多くて、境内に様々な仏様や神様が
いるんだろうと初めて気が付きました。
そして最近では、最先端物理学と仏教の考え方が似ている
という話がインターネットや本などで盛んになっています。
そのうち、JAXAと仏教界のコラボがあるかもしれません。
p152
日本の仏典として、最初に「日本霊異記」を取り上げるというのは、いささか
意表をついているかもしれない。・・・エリートの仏教ではなく、民衆の
仏教に属するものである。 しかし、そこには仏教にはじめて触れた古代
の人々が、どのようにそれを受け入れたかが、生々しく描かれている。
・・・他面では平板化し常識化してしまった今日の仏教では想像も付かない、
未知の宗教の荒々しい息づかいが伝わってくる。
==>> さて、この「日本霊異記」という本なんですが。
近年編纂された現代語訳による日本文学全集というものの中に
入っているそうで、その宣伝本みたいなものをチラチラと
読んでいるところですが、かなり面白そうです。
「作家と楽しむ古典 ― 日本霊異記」
全集の中の「日本霊異記」はこちらですけど・・・
いずれ、読んでみようかと思っています。
p156
仏教の特徴はむしろ、その輪廻の軛からいかにして解放されるかということ
のほうにある。 それが涅槃の教えである。 ところが、仏教が中国に伝え
られたとき、もともと来世観が明確でなかった中国では、輪廻が仏教に固有の
思想として受け入れられることになった。 これは現世主義的な中国の思想に
たいして革命的な意味を持つものであった。 その発想は、儒教的な現世主義
を堅持しようとする知識人層よりも、むしろ民衆の間で広く受容され、来世への
怖れから、道徳的な善行とともに、死者供養が盛んに行われるようになった。
それが日本に伝えられ、日本でも民衆の間に広く浸透するようになった。
「霊異記」はその思想の宣伝の書であるが・・・・
p157
本書に収録された説話は、多くは現世で直ちに結果が現れた話だ。 現世で
応報が出るのはそれだけ強い業ということであるが、輪廻の観念に馴染みの
ない日本の人々に向かって説くのに、分かりやすいということがあったであろう。
==>> 確かに、インドでは元々そういうことだった。
それが中国で儒教や道教と混ざってしまったということのようです。
「日本霊異記」は、庶民向けの宣伝本みたいなものだったんですね。
「作家と楽しむ古典 ― 日本霊異記」を読んでみたんですが、
かなりエロい内容だそうですよ。 それに、現世で応報が出るという
かなり現世的なもののようですから、現在の日本仏教の即身成仏
などと同じように、即席の結果を求めるのはいつの世も庶民は
同じなのかもしれません。
p158
普通の人と違う障害者は、古代において必ずしも差別されていたわけ
ではなく、むしろ聖性を持つものとして大事に扱われてきた一面も
ある。 それは日常的な畏れの感覚に基づくものであったが、仏教は
そうした日常的なレベルとまったく異なる世界観や論理を強引に持ち込み、
旧来の価値観を打ち壊していく。
p159
古代における大陸文化の流入は、明治期よりももっと文化的な落差が
大きかっただけに、巨大な衝撃を持つものであった。
==>> ここで障害者について少し書いてあるんですが、
それがどのようなものであったかの詳しい記述はありません。
「日本霊異記」には何か具体的な話が書いてあるのでしょうか。
古代の中国と日本との間には文化的に大きなギャップもあり、
また技術的にも大きなギャップがあったことも書かれています。
中国の都を真似て都市計画をした際に多くの技術者が入って
来たことは明らかなようです。
p160
戒律というと、ともすれば守るべき規則という意味でしか考えられないが、
じつはそれだけではない。 戒を授かること(受戒)によって罪を滅し、
仏法の力を獲得する。 ここから後代には病気のときに受戒して平癒を
願ったり、臨終に受戒して死後の幸福を願うことになる。 今日しばしば
問題になる戒名もまた、この伝統を受け継いだものである。
==>> 「病気のときに受戒して平癒を願ったり」ということが
受戒する効果としてあったとは知りませんでした。
新型コロナの疫病退散祈願にアマビエが出てきたのもこの
一環なんでしょうか。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%93%E3%82%A8-2131814
「疫病の流行を予言したとされる妖怪の名前。江戸時代の
弘化3(1846)年に肥後国(現在の熊本県)の海に現れて疫病を
予言し、病気が流行した際には自身の姿を描き写して人々に
見せるよう告げて姿を消したと伝えられている。」
・・・・1846年ですから、関係なさそうですね。
「受戒」の辞書的な意味としては下記のようになっています。
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%97%E6%88%92-77552
「仏教の教団に加入するために,遵守すべき戒めを受けること。」
「仏弟子となるためには必ず道徳の基準となる戒を受け
なければならないが,戒には出家と在家,その他の相違に
よっていくつかの種類があり,それに応じて受戒の作法にも
相違がある。」
・・・流石に、庶民的レベルでの効用などは書いてありません。
p165
「霊異記」は、このような私度僧や沙弥、さらには優婆塞などの民間仏教を
重視し、彼らの活動に日本の仏教の発展のエネルギーを見ようとしている。
高度の悟りや難解な教理ではなく、公的な秩序からはみ出した下層の僧たち
の活動にこそ本当の仏教があると言うのだ。 著者の景戒自身が薬師寺に
いながらも、妻帯して貧しい暮らしをしている私度僧的な僧であった。
行基は彼らのシンボル的存在だった。
==>> 優婆塞については、下のような解説があります。
https://kotobank.jp/word/%E5%84%AA%E5%A9%86%E5%A1%9E-35049
上記の記述の中での意味は
「② 在家のままで、仏道修行にはげんでいる人。」
「修行者に奉仕する在俗の信者をいうところから、正式に
出家得度しないで修道の生活を行なう人に及ぼしていう。」
「三宝に帰依し,五戒を受けた仏教の在家信者の男子。
女子は優婆夷(うばい)。日本のとくに奈良時代には民間の
宗教者をさしていた。」
行基については、下のような記述があります。
https://kotobank.jp/word/%E8%A1%8C%E5%9F%BA-52537
「『日本霊異記』に描かれたような呪術も得意としたらしく,
しばしば「霊異神験」を示したといい,行き通う人々は彼を礼拝
したという。人々から「菩薩」と仰がれた。」
「百済(くだら)系の渡来人、高志(こし)氏の出身。和泉(いずみ)
の人。法相(ほっそう)宗を学び、諸国を巡って布教。民衆ととも
に道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが、僧尼令違反と
して禁止された。」
「養老1(717)年,政府から名指しで糺弾された。指に火を灯し,
皮膚を剥いで写経するといった活動が異端的呪術とみなされ,
また路上での布教活動がとがめられたと考えられる。
しかし,このとき還俗とか流刑といった具体的な刑罰は科され
なかった。行基はこの弾圧に,呪術を穏当なものに変える
などによって柔軟に応じ,それまでの路上活動から院を中心
とする活動に転換していった。」
・・・これを読むと、呪術に関しては、密教の空海の時とは
かなり扱いが違うように見えます。
空海は、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日までの人ですから、
時代を経るに従って、密教の呪術が求められるようになった
ということなのでしょうか。
p167
景戒は、ある優婆塞が吉祥天女の像に対して愛欲を生じ、夢で天女と交わり、
朝みると像の裳裾が不浄に汚れていたなどという生々しい話をも伝えており、
それを天女の感応として肯定的に解している。・・・このような破戒をも認める
仏教観を、景戒はさらに推し進める。
p169
仏教は抽象的な理論によって日本に定着したのでもないし、逆に理論なしに
土着の民俗だけがあるわけでもない。 むしろ民衆の中に定着していく中で、
仏教の理論は深められ、表層から深層へと食い込み、現実にはたらく強力な
パワーとなる。
==>> 破戒僧という言葉から思い出すのは愚禿親鸞さんなんですが、
その時代としては1173~1263の人ですから、景戒さんに
比べると随分遅いということになりそうです。
(下記のように景戒さんは8世紀の人です。)
https://kotobank.jp/word/%E6%99%AF%E6%88%92-1070622
「自分の根拠地(これもおそらく名草郡)に私堂を持ち,妻子を
養い,馬を持ち,半俗の生活を営んでいた。 同書には自らを
私度僧(政府の認可を経ないで出家した僧)であったとする
記述はないが,当初は私度僧として宗教活動を開始し,のちに
官度の僧となって薬師寺に所属したと推測される。」
「延暦一四年(七九五)伝灯住位を得る。「日本霊異記」の著者
として知られる。生没年未詳。」
こちらのサイトでは
「親鸞聖人が世界で初めて僧侶の身で公然と結婚された理由」
と書いてあるんですけど・・・・
https://shinrankai.jp/article/183
・・・教祖として初めて・・ならOKかもしれませんが・・・
こちらのサイトでは親鸞さんの「非僧非俗」がフォーカスされて
います。
https://shinran-mail.com/hisou/
「臨済宗の師蛮の書いた『本朝高僧伝』には、日本へ仏教が伝来
してからの、有名無名の僧侶、千六百数十人の伝記が載っていま
すが、親鸞聖人のお名前がありません。
『教行信証』に「非僧非俗」と聖人が宣言されていることを、
師蛮がよく心得ていたからでしょう。」
ところで、日本人の宗教意識はかなり混沌としているんですが、
信仰に関する調査データも混沌としているようです。
Wikipediaによれば:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99
「文化庁『宗教年鑑』令和2年(2020年)版によると、
2019年12月31日時点で、神道系が8895万9345人(48.6%)、
仏教系が8483万5110人(46.3%)、キリスト教系が190万
9757人(1.0%)、諸教(神道系・仏教系・キリスト教系以外
であるもの[分 1])740万3560人(4.0%)、合計1億8310万
7772人となり、これは日本の総人口(約1億2600万人)の
およそ1.5倍にあたる[6]。」
一方で、
「NHK放送文化研究所による「ISSP国際比較調査(宗教)2008[8]」
によると、「あなた自身は、何か宗教を信仰していますか」という
問いに対して、「宗教を信仰していない」(無宗教)49.4%、
仏教34%、神道2.7%、その他の宗教1.1%、プロテスタント
0.7%、カトリック0.2%などとなっており、「宗教を信仰して
いない」人49.4%に対して「宗教を信仰している」人は
38.7%となっている。」
「「神がいるとは思わないが、何か超自然的な力はあると思う」人
が23.2%、「神の存在を信じる時もあるし、信じない時もある」人
が32.0%となっており、時と場合によっては人知を超えた宗教的
とも言い得るものが存在しているような気がする、といった
意識を持っている人が半数以上を占めており、多数派である。」
・・・おそらくこれはNHKの調査の方が実態に近いのでしょう。
私自身は、「信仰しているか」とマジで訊かれたら、信仰して
いない側ですが、「宗派に属しているか」と訊かれたら
「今は真言宗です」になってしまうし、「「神がいるとは思わないが、
何か超自然的な力はあると思う」というグループの一人ではあります。
基本的には、仏教は宗教ではなく哲学だという考えなので・・・・
ところで、「信じる」という言葉は、私にはちょっと使いにくい
言葉なんです。
国語辞典で調べると:
「1 少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思う。
「神は存在すると━」「霊魂の不滅を━」
「従来の学説を━・じて疑わない」
2 自分の考えや判断が確実であると思う。確信する。
「僕は彼がきっと来ると固く━・じている」「彼女の成功を━」
3 相手のことばや人柄に偽りがないものと思う。信用する。
信頼する。
「私を━・じてついてきなさい」「もう誰も━・じられない」
4 信仰する。信心する。〜に帰依きえする。」「仏教を篤あつく━」」
・・・と書いてありますが・・・
1は、疑い深い私には感覚が合わない。
2は、自分の判断に確信が持てないから使えない。
3は、「信じる」というよりも「信頼する」とか「信用する」
という言葉の方が違和感がない。
4は、信仰心がないからおこがましい。
・・・ということになります。
よって、聞いた話や物事を信じるというのは難しいのですが、
それを話した人に対しては信頼あるいは信用できるかという
意味ならば「信じる」と言えるかもしれません。
なので、話や物事に関しては、「腑に落ちる」か落ちないか
という言葉が違和感がないように思います。
== その4 に続きます ==
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