「フィリピン人介護福祉士の日本体験記」

「フィリピン人介護福祉士の日本体験記」

 

 

 

この体験記は、日本の国家資格である介護福祉士の資格をとって、日本の医療法人で 

2022年現在も専門職として仕事をしているフィリピン人女性によって2017年に 

書かれたものです。

(この著作権はご本人に属します。)



<<日本のイメージ>>

 

外国人にとって、日本という言葉を聞くと、彼らの心にどんなイメージが浮かぶと、皆さんは思いますか? ガンダム? セーラームーン? サムライ?  私のようにアニメが好きな人たちにとっては、多分そのとおりだと思います。 何故かと言えば、日本のアニメは世界中で最高で有名なもののひとつであるからです。 しかし、真面目な話、外国人は日本について本当はどう思っているのでしょうか。 ハイテク? 新幹線? 低い犯罪率? 正直な国民? ユニバーサル・スタジオ・ジャパン? 桜の花? はい、これらは日本にやってくる外国人を魅了するほんの一例に過ぎません。他の国に比べて、ハイテクのお陰で生活は便利ですし、低い犯罪率は安心感を持たせてくれます。

 



日本流の「おもてなし」は他とは比較できないほどですから、正直で尊敬すべき人々にはどこでも会うことができます。 他の国にも桜の花はありますが、花見もとても人気があって、世界中の旅行者がそれを楽しみ季節を感じるためだけに日本を訪問するのです。 そして、一番特別なことと言えば、観光スポットには季節ごとに独自の魅力があって、季節が変わるにつれて、様々な美味しい食べ物を楽しむこともできるのです。 ですから、フィリピン人を含む多くの外国人が、チャンスがあれば日本にやってきて、住みたいと夢見ているのです。


 2004年に私は交換留学生として京都府の某高等学校に一か月ほど滞在するため日本に来る機会が与えられました。 そして、普通の外国人と同様に、いろんな形で日本の美しさに魅了されたのです。例えば、上に書いたことに加え、環境の清潔さや、とても規律正しい人々に感銘を受け、再び日本にやってきて滞在したいと思うようになりました。 そしてまた、文化の違いについても知ることができました。

 

 

<<フィリピンと日本の習慣の違い>>

 

ある日、私は授業のことで質問をしにアドバイザーの部屋に行って話をしていました。

先生:  ミア、ちょっと言っておきたいことがあるんですが。

     日本の人たちは授業中に先生の目を長い間じっと見るようなことは普通はしま

     せん。それに、会話をしている時も相手の目を長い間覗き込むようなことも

しないんです。

私:   なぜでしょうか? [先生の言葉に驚いて]

先生:  日本では、話をしている間じっと相手の目を見ることは不作法だからです。

     それに、授業中ずっと目を見られると、先生は落ち着かないからです。

私:   本当ですか!?  それは知りませんでした!

 

私はこの先生の言葉に本当に驚いてしまいました。 なぜかと言うと、フィリピンでは正反対だからです。 先生が説明をしている間先生の目を見ない生徒がいたら、それはその先生に対して無礼な行為とされます。 その先生の授業に興味がないことを意味するからです。

それに、講義の間先生の目を見ない学生がいたら、先生はその学生により多くの質問をする傾向があります。 という訳で、私は幼稚園に入った時から大学を卒業するまでずっと、授業中は先生の目を見るというように躾けられてきたのです。授業以外でも、私たちは子供の頃から、人の話を聞く時は聴いていることを示すためにその人の目を見なさいと教えられました。

 

ですから、私の先生が授業の間にじっと見ないでくれと言った時には、大学一年生の時にその先生の授業を受けていた一年間いらいらして我慢していたのかなと不思議に思いました。

授業中の先生方の顔を今思い出すと、確かに、先生方とはほとんど目が合わなかったように思います。そして、私が好奇心を持っていたことについに答が出たのです! 私は人が話している間なぜ日本人は相手の目を見ないのだろう、そしてきっと日本人は恥ずかしがり屋だからだろうとずっと不思議に思っていたからです。

 

    私が大学一年生の時の教授の一人を思い出します。その教授は最悪でした。

と言うのは、私が覚えている限りで言えば、その教授は講義中一度も学生の目を見なかったからです。 いつも講義中ずっと黒板の方を向いていたのです。そして、面白い冗談を言う時も自分ひとりで笑っていただけでした。 私はクラスメートはどうして授業中に何も反応しないのだろうと不思議でなりませんでした。 静寂だけがそこにはありました。

教室の中だけのことではありません。 友人と映画館に映画を観に行った時のことです。

日本人の観客は面白いところでも笑いません。 私と友人はずっと笑っていました。 そして映画が終わった時、私たちの周りの人たちは「うるさいな」とでも言うような顔で私たちを見たものです。[]

 

フィリピン人は自己表現をすることで知られています。 ですから、もし何の反応も見せないとしたら、映画を観るということはどういうことになるでしょうか? それに、映画を観ることはレジャーであるとみなされます。映画を観て楽しんでいるのであれば、どうしてそれを表現せずにいられるでしょうか? そう思いませんか? 同時に、これは私をさらに混乱させるのです。 日本の人たちは本当に映画を楽しんでいるのだろうかと。 日本人に映画を楽しんでいますかと訊ねれば、「はい、とっても楽しかった」と言います。 しかし、そこには何の反応もありませんから、私は本当にそうなんだろうかと思ってしまうのです。

 

 

以前、私は日本人のお誘いが、本当なのかそうではないのか判断に苦しむこともありました。 例えば、大学の友達がよく「うちに遊びに来てね」と言うのですが、卒業する迄結局その家に招待されることはありませんでした。 友達の何人かもいつも「今度ご飯食べに行こうね」、「今度遊びに行こうね」と言うのですが、もう何年も経つのに一度も食事に行ったり一緒に遊びに行ったことはありません。 私にはどうもそれは彼らの口癖のように思えます。 日本人は「お世辞」がとても上手で、時折彼らは見ているものを本当に認識しているんだろうかと不思議になります。

 

多くの日本人は本当の意見を言わないということもあります。 それは和を守るためであったり、他の人を尊重する印であったりします。 ですが、このような態度は本当にいいのかなと思うことがあります。 なぜかと言えば、もし周りの人たちが本当のことや何が間違っているかを言わなければ、彼らの間違いや改善すべきことを、みんなが理解できるとは限らないからです。 私は、みんながとても率直で、仕事ぶりが良くないと思ったり、やっていることが正しくなかったら、その場で注意をするようなところに来ました。

私は、本当の事というのは、時々人を傷つけるかもしれませんが、そうしなければ自分自身やその仕事を育てたり改善したりは出来ないと思うのです。

 

 

<<日本におけるフィリピン人のイメージ>>

 

私がまだ大学一年生だった時、日本語の能力はまだ良くはありませんでした。ある日、私がタクシーに乗った時、その運転手が私に話しかけてきました。

 

運転手:どこの人?

私  : フィリピン人です

運転手:どこのママさん?

私  : フィリピンにいます[なぜ私の母の居場所を聞いているのか不思議でした]

運転手:お店はどこ?

私  : 店の仕事はしていません

 [私の母がお店で働いているかを聞いているのだと思いました]

運転手:この町で何しているの?

私  : 留学生です[そして、目的地に着くまで沈黙]

 

 

その後、私と友人たちは知り合いの人たちからカラオケに誘われました。 そして、スナックバーに行きました。 その知人の一人がそこのお店の女性の一人をいつも「ママ」と呼んでいるのを聞きました。そこで私はその同伴者の一人になぜその女性を「ママ」と呼んでいるのかと訊ねました。 その人の説明を聞くにつれて、私はタクシー運転手を思い出し、私の母のことを訊いていたのではなく、私自身がパブで働いているのかを訊ねていたのだと気が付いて、私はショックでした。

 

私たちの日本人の知り合いが福井県の私たちを訪問した時のもうひとつの経験です。

私たちはスーパーへ行って、私たちの夕食の食材を買いました。支払いをするために

レジ・カウンターへ行き、レジ係りの人にお金を渡し、お釣りをもらう前に野菜を近くのテーブルに置こうとしました。

 

レジ係り: 奥さん、お釣りですよ。

私   : ありがとうございます [今なんて言った? 奥さん?お客さん?混乱しました]

知り合い:奥さんだって。[]

私   : [一緒に笑う]

 

しかし、本音を言えば、私はそう呼ばれたことは愉快ではありませんでした。 その頃私は25歳で、私の同伴者は70代前半の男性でした。 なので、どうしてレジ係りの人は私たちをカップルだと思ったのか不思議でした。 五十年ほど遡れば、パブで働くことが、フィリピン人が日本へ入国するビザを得る唯一の方法だったかもしれません。 しかし、私たちは今ミレニアル世代を生きています。 そこでは多くの専門的知識を持ったフィリピン人が、様々な分野で働く実習生や、病院や施設での仕事、英語教師の仕事、あるいは留学生などとして日本にやってきているのです。 ですから、フィリピン人に対するこの「イメージ」が変わることを期待するだけです。

 


<<日本での介護の仕事>>

 

私は病院や施設で介護士として働いた経験を述べたいと思います。そしてまた、フィリピンから来たEPA(経済連携協定)候補者の有利な点と不利な点についても。 私がまだ国家試験の準備をしていた時、候補者は研修に参加することによって候補者同士が会う機会がありました。 お互いの話を聞いたところ、それぞれの指定された施設に関してほとんどの候補者たちが同じような経験をしていることを知りました。

 

さらに、看護師および介護福祉士の両方について、国家試験に合格したにもかかわらず、なぜ候補者の幾人かが仕事を辞めた方がよいと思うのかという、よく聞かれる質問のひとつにも、その理由のいくつかをお話したいと思います。私は友人や知人に、契約が終わらないうちに彼らが母国に帰ると決めた理由を訊ねました、又既に免許を持っているのになぜ仕事を辞めた方がよいと思ったのかについても。

 

 

有利な点:

1. すべてが無料

候補者が日本語研修を受講し看護師や介護福祉士の国家試験に合格できるまでの間、日本政府がすべての支援を実施してくれる。 本や研修料が無料。

 

2. すべて無料、交通費、健康診断そして手当。

万一候補者が研修期間中に病気になっても、日本政府が請求書の支払いをしてくれます。家賃は無料で、研修センターの近くに宿舎がありますので、交通機関を使う必要もありません。

フィリピンでの最低賃金の二倍の手当もあります。 フィリピンで住むということであれば、これはかなりの金額です。

 

3.  フィリピンでの研修と健康診断で合格すると、ビザ、労働許可そして旅行計画などの

書類は国際厚生事業団あるいは支援機関のスタッフが処理してくれます。

はい、これは実に魅力的なことで、候補者は、多くの時間のみならずお金を伴う書類の処理に汗をかいたり時間を費やす必要もありません。

 

4.日本語能力は給料の良い仕事や他のチャンスをもたらす

日本に定住することを計画しなくても、日本語の能力が高ければ、日本語教師や翻訳業のような他の仕事を得ることにもつながります。 そこでは、フィリピンの最低賃金よりもずっと良い給料が期待できます。

 

5.他の国で働こうとする場合の利点

日本は世界の中でも高く評価されている国であると同時に、ビザの許可となるとその規則や規制が厳しいことでも世界的に知られています。ですから、もし日本で働いた経験があれば、経験のない人たちに比べて、他の国が雇ってくれるチャンスはずっと高くなります。

 

 

不利な点:

1. 実習生に少ない機会しか許されない中で国家試験の準備をするのは、決して簡単ではありません

候補者の誰もが国家試験に合格したいと願っています。 しかし、受け入れ施設のすべてが私たちの勉強を支援するわけではありません。 中には勉強よりも仕事を優先する施設もあります。 一方、候補者が誰の支援もなく自分たちで勉強をしなければならず、非常に困難だということもあります。国家試験に落ちた候補者たちは、必ずしも日本語の障壁だけだと思っているわけではなく、サポート不足もあると考えています。 看護師は国家試験受験の機会が3回ありますが、介護福祉士の場合は2回のみです。

 

2.日本人スタッフと同じ仕事と責任がありながら、給与、賞与そして手当が低い。

経済連携協定事業のルールのひとつに、すべての候補者は日本人スタッフと同様の給与と賞与を受けるべきであるというのがあります。しかし、ほとんどが低い給与であり、賞与がないことさえあります。 私たちは介護士の給与がそれほど高くないことを皆知っています。そしてそれは、フィリピンの最低賃金と違いがありません。 私たちのアパート代、その他の費用、そして食費を払うのがやっとです。ですから、低い給与であれば、私たちは自分たちを支えるためには生活費を切り詰めなくてはならず、貯金をすることは不可能です。

 

3.有給休暇の利用。 これは勤務している病院や施設で違いがあります。認める所もあれば、そうでない所もあります。 有給休暇を考えている日本人従業員にしても、仕事から何日も離れることに関しては、気を使います。

施設の中には、病気をしたときだけ有給休暇を利用する権利を与えるところもあります。

時々、私にはこの論理が理解できないことがあります。 有給休暇を使うために、なぜ病気にならなくてはいけないのでしょうか。 ストレスを感じたり、疲れたり、病気にならないように休みを取る必要があると思った時に休暇を利用する方が良いのではないでしょうか? 何故かと言えば、誰も病気になりたいとは思いませんし、特に私たちは家族や友人から遠く離れていて、私たちの面倒を見てくれる人はだれもいないからです。 有給休暇の実施が改善され、すべての働く人たちにとっての「義務」になって欲しいなと思います。

 

いくつかの施設では毎年母国での休暇をくれるところもあり、他の施設では短い休暇だけであったり、あるいは休暇が取れなかったりという施設もあります。ここにはフィリピン人候補者にとっての大きな3つの問題のひとつがあります。 フィリピン人はみんな、クリスマスや新年のような特別な時期に家族と時間を過ごしたいという願望があります。しかし、日本で働いているとこれが制限されます。 それは人材不足や文化の違いのような理由によるものだからです。 フィリピン人は「生きるために働く」というような人生をおくる傾向がありますが、そこでは働きながらも人生を探求し楽しむのです。なぜかと言えば、私たちは「人生は一度だけであり、人生は短すぎる。だから後悔のないように精一杯生きよう。」と信じているからです。  一方で、日本の人たちは「働くために生きる」ような人生を送る傾向があります。 そこでは、自分をリフレッシュするために外に出たり、ちょっと休憩をしたりするよりも、働くことが優先されます。 あるいは、それは文化の違いによるものかもしれません。

 

4.自己成長がない、あるいは遅い

日本語の障壁があるため、日本人スタッフに比べて、私たちの技能を向上させる研修に参加する機会が少なくなります。 施設の中には、既に免許を持っていても、研修で教えられたことを実施しようとすると制限するところもあります。 それはまずは介護士自身を評価する必要があるという理由です。 免許を持っているのに研修生のような扱いを受けるのは、外国人従業員の自信を減退させ、技能の向上を阻害することにもなります。

 

5.サービス残業

人材不足の為、従業員は支払いの無い残業をすることもあります。

また、これは日本の人々のトレード・マークもあります。そこでは、既に就業時間が終わっていても、上司やリーダーより先に職場を離れることは出来ません。そういう職場では、最大3-5時間のサービス残業が発生します。 さらには、自分の自由時間や休日に無給での打ち合わせや何かのイベントへ向けての準備もあります。

 

6.日本での定住は難しい

もし私たちが日本に定住し家族と一緒に住もうとすると、双方にとっての困難があります。

ひとつは日本語の問題です。 もし私たちが両親と一緒に住みたいと思っても、職を得るために日本語を学ばなくてはいけませんが、年齢的に大変難しいのです。私たちの給与は、ひとりだけで働くとすると、家族を養うには十分ではありません。もし、私たちの子供に日本で教育を受けさせたいと思えば、子供たちも日本語を勉強しなくてはいけません。 

英語が話せる国に定住するとなれば、私たちの家族は自分たちを支えるために職を求めることができますし、子供たちも言語のことを心配せずにスムースに勉学を続けることが出来るのと比べると、まったく違います。

 

 

私は認知症介護実践者研修と呼ばれるものに参加しました。それは修了までに3か月ほどを要するもので、100名の参加者の中で外国人は私一人でした。 思っていたとおり、研修は日本人向けで、他の研修参加者のペースに合わせなくてはなりませんでした。それぞれのグループワークでは常に時間が限られていたので、難しいこともたびたびありました。 それに、研修を修了するには20ページ以上のレポートを書かなくてはいけませんでした。

ですが、私のグループの人たちが親切で、講師の方も私を理解し、さらに職場の同僚たちのサポートのお陰で、私はこの研修を修了することが出来ました。

 

もし日本政府が私たちの家族に適した職場や、子供たちが楽しみながら自由に学べる学校を提供してくれたら本当に素晴らしいなとも思います。

 

もし、日本が制度を向上させれば、 例えば、外国人と日本人の給与格差の見直し、サービス残業の廃止、 有給休暇をすべての労働者の義務にすること、外国人が技能を向上させるための適切な研修を実施すること、そして家族を支援する制度、を改善することができれば、外国人は間違いなく日本に滞在し長期に働くことを考えると思います。

そういうことが出来なければ、日本の最大の問題である労働者不足は解消されず、特に超高齢社会が進み、外国人労働者の助けがなければ、この問題の解決は難しいと思います。

 

  

 

<<介護の仕事で気づいたこと、思ったこと>>

 

介護福祉士として働いてきて、私は次のようなことを理解することができました。

 

l  まだ明日という日があると思うな。 いつ死ぬかは誰にも分からない。

私は既に亡くなった何人かの高齢者の方々について残念に思っています。なぜなら、

ご存命の間にもっとお世話ができたのではないかと思うからです。 

私は看取り介護の段階にある他の高齢者あるいは重病の方を優先的にお世話していま

した。それは、健康な方はまだお世話をする時間があると思ったからでした。

看取り段階の方より健康な方が先に逝かれるとは思ってもいなかったのです。

l  自律的であり、自分を追い詰めない

  私たちは若いので、なんでもできると思い、自分自身を追い込むことがあるかもしれ

ません。 しかし、お年寄りの状況を見れば、そこには多くの身体麻痺の寝たきりの

比較的若いお年寄りもいます。 そして、そのお年寄りからこのような言葉をよく聞き

ます。 「無理しないでよ。後でくるから。」 

ですから、まだ若いことは大切ですが、私たち自身のことも気を付けています。

 

l  一人暮らしは寂しい

施設利用者からの言葉「丈夫な時は何とも思わんけど、やっぱし病気になると寂しいわ、

家族が誰もいないと・・」。

このお婆さんが意味するところは分かるような気がします。なぜなら、私自身が腰を

痛め、二日間何も出来なかった時に同じように感じたからです。私の部屋のすぐ傍に

あるトイレに行くのですら非常に困難で、とても心細く、誰か傍にいてくれたらなあと

思ったものです。

 

l  家族と一緒にいることの重要性

  人それぞれに、何が幸せかは違いますが、家族がいるということは他とは比べられない

ものだと思います。家族が訪問して来た時のお年寄りの顔を見ていますと、特にお孫さ

ん達を迎えた時の幸せそうな顔は、敬老の日やクリスマスで贈り物をもらった時とは

比較になりません。 その顔は輝きだし、笑顔は心からのもので、笑いが多くなります。

 

l  長生きは本当に良いことなのか?

お年寄りの状況を見ていると、時々私は長生きすることは本当に良いことなのかと

思うことがあります。 健康で長生き出来て家族と一緒に居られれば、それは本当に

素晴らしいと思いますが、病気と闘う高齢期を送り施設や病院で生活するのは、私にと

っては拷問に等しいものです。

 


 


 

<<4年後の一時帰国、その気持ちと気づき>>

 

私の国を離れて4年が経ち、私の中に変化したものがあることに気が付きました。以前

は、それに慣れていたので全く気にならなかったことが、いつか気になるようになるとは

思いもしませんでした。 帰国していたその間、私はフィリピンを訪れる日本人旅行者の

感覚が理解できるような気がしました。 


 

l  先に述べましたように、日本の人たちはお客様を非常に大切にします。それは「おも

てなし」で格別なものとなります。 しかし、私がフィリピンに帰って、あちこちに

出かけ、お付き合いをした時、私はほとんどの人たちをとても不作法に感じたので

す。

 

l  私は安全じゃないと感じました。

日本では自分の持ち物が誰かに盗まれることを心配する必要はありません。また、誰

かが嫌がらせをするという心配をせずに夜一人で歩くことができます。しかし休暇中

は、私は小学生の時に戻ったような感じでした。そこでは、一人で外に出かけること

はできず、私を守ってくれる誰かと一緒でなくてはならず、さらに暗くなる前に帰宅

しなくてはなりませんでした。

  

l  お菓子やケーキの味覚が変わった。

以前はケーキやお菓子を食べるのがとても好きでした。 しかし、休暇中は好きな

ケーキの一切れですら甘すぎて食べられませんでした。私が初めて日本へ来た時に

は、日本のケーキやお菓子は味が薄く、フィリピンのは濃いと感じたものです。

 

l  もう水のシャワーは使えない

大学を卒業するまで、私は水のシャワーを浴びることが好きでした。気分がすっきり

するし、目が覚めてその日一日活動的になれるからです。(コーヒーと似たような効

果かもしれません) しかし、今はもうできません。日本に居て、夏であっても生

ぬるいお風呂に入ることが普通になりました。 あるいは、私が歳を取ったからかも

しれません。 []

 

l  おしゃべりではなくなりました。

日本に来る前は、知人の中には私がおしゃべりだと気付いた人たちがいました。いつ

終わるともしれないほど話をしていたからです。同様に、私の家族や従姉妹たちとお

しゃべりをしたり笑ったりするのが一番の楽しみでした。 しかし、日本に4年間続

けて住んでからは、友達も少なく、長々とおしゃべりする相手もいなかったので、以

前ほど話さなくなりました。休みの日には、映画やアニメを見たり、音楽を聴いた

り、読書をしたりするようになったので、今はたくさんおしゃべりをすることがやっ

かいなことになってしまったのです。

 

l  道路の自動車の排気ガスや埃はもう我慢できない。

日本は大変環境がクリーンで、大気汚染は特に地方では普通のことではありません。

日本には四季がありますが、私はほとんど咳は出ないし風邪もひきません。 一方、

私がフィリピンに帰ると、100%咳が出たり風邪をひいたりします。

 

l  上にいろいろと書きましたが、それでも、故郷にいるという幸福感や家族と一緒だと

いうのは何ものにも代えがたいものです。 マニラ空港に着陸するたびに、気持ちは

明るくなり、ストレスから解放されるのです。 なぜだと思いますか? 看板に書か

れていること、あちこちで流れてくる音楽、そして周りで話されている言葉、そのす

べてを何の努力もなく理解できるからです。 さらに、バスに乗ると、車窓を流れる

景色に郷愁を感じ、何故か涙が流れてくるのです。 私の中で感じている幸せを説明

することはできませんが。 「故郷に代わるところはない」という言葉の意味をその

時つくづく感じるのです。

 

<<今でも、日本で困っていること>>

 

l  言葉と自分の意見を表すこと。 

皆さんご存知のとおり、自分の意見を表現するということになると、フィリピンと日

本の間には文化の違いがあります。 フィリピン人は自分の意見について自己表現を

し率直です。一方日本人は独自の[日本人らしい言い方と日本人らしい振る舞い]とい

うものを持っています。 特に年配の人たちあるいは目上の人に対して話す時は意識

します。 私が話す言葉のひとつひとつが、会話をしている相手を怒らせることにな

るのか、ならないのかを心配するからです。 ですから、大抵は静かにすることを選

ぶことになります。 その理由は、特に女性の場合には、日本人は言葉に気難しいの

で、横柄だとか利己的だとか誤解されることが時折あるのです。その人の能力ではな

く、話す言葉のひとつひとつで判断されレッテルが貼られることにも時々なります。

 

l  グループで飲食をすること。特に年配者のグループの中にいて、食費が無料の場合。

私はあまり痩せていないかもしれませんが、しっかり働いた後であっても普通はたく

さんは食べません。 グループで食べる時はいつもこの問題があるのです。 いつも

の量の二倍とか三倍も食べてしまい、食べ過ぎて、胃が驚いて、息をするのも苦しく

吐いてしまいそうになってしまうからです。 私はもっと食べて欲しいという彼らの

親切さを心から理解し嬉しく思うのですが、時々やっかいなことにもなるのです。彼

らの勧めを遠慮したこともあるのですが、大抵の場合「嫌い?」と言われるので、最

後まで食べてしまうのです。

 

そしてまた、私は日本の正式の食事でいつも不思議に思うことがあります。 日本で

はご飯がいつもメニューの最後に出てくるのですが、フィリピンでは正式であろうが

なかろうが最初に出されます。 私はご飯が最後だと困るのです。私はメニューの最

初でもうお腹がいっぱいになり、他のものより胃に重いお米が最後に来るからです。

お米のご飯を最後に食べるなど私にはほとんど不可能なのです。

 

皆さんご存知のとおり、飲酒は会場を盛り上げることができるので、集まりには欠か

せません。 しかし、私にとっては得意分野ではなく、日本で初めてビールを飲みま

した。 遠慮できる時もありますが、断れない時もあります。 特に、相手が目上の

人で乾杯しようと言って来たときです。 飲酒を断るのは、扱いにくい人だと思われ

たり、退屈で相手にしてくれない人間だと思われる難しい状況にもなりかねません。

 

 

<<近代化と人間の心>>

 

[世界保健機関の2016年の統計によれば、フィリピンに住む人たちの平均寿命は68.5歳です。 この数値は世界平均の71.4歳より3年ほど短い数値です。 もっと目に付くのは、男性の世界平均が69.1歳であるところ、フィリピン男性は65.3歳という数字です。 フィリピンの女性は女性の世界標準が73.8歳であるところ、より近い72歳となっています。 ]

日本: 83.7歳 (フィリピンの平均寿命よりも22.2%長い)

そして、さらにお年寄りの自叙伝を読んだ折、彼らの多くが妻あるいは夫を亡くした時に

認知症になったり悪化したりしたということが分かりました。特に男性の場合に多い。 

誰かが傍にいること、そして家族の中でコミュニケーションをすることが如何に重要か、

そしてそれが健康にも影響するということを悟りました。

 



 

初めて日本に来た時、私は技術の話になるとフィリピンとの間に違いを感じました。 

日本での生活は非常に便利で、必要なものは簡単に何でも買えます。 例えば、弁当は

コンビニやスーパーで買えますから、料理をする必要もありません。 コインランドリー

がありますから、自分の衣類を自分で洗濯する必要もありません。 それに、日本はハイ・

テクノロジーの国なので、日常生活を楽にする多くの機器を使うこともできます。 なので、

おそらくこれが、日本人が誰かと結婚したいと考えないひとつの理由なのかもしれません。 

便利だということは本当に素敵なのですが、便利過ぎたり、技術に頼ってばかりというのは、

本当に良いことなのでしょうか。

 

1990年以前に生まれた読者の皆さん、どうぞ自分の子供時代を思い出してみてくださ

い。 おそらく、多くの皆さんが従兄弟たちや同じ歳の近所の子供たちと、ママゴトや隠れ

んぼや縄跳びなどをして遊び、そこにはご近所や他の人たちとの交流があるのがごく普通

だったのではないでしょうか。 日本も大家族の時代を経験し、同じコミュニティーの中で、

お隣さんを助け、それぞれの世帯の家族の名前も知っていたと思います。 しかし、今はど

うでしょう。 コンピューター・ゲームが流行り、子供たちは同じ歳の子供たちと遊ぶより

も、家の中にいることを選ぶようになりました。 社会的交流の減少は、引きこもりに繋が

り、友達がさらに少なくなっています。 皆さんの中の何人ぐらいが同じコミュニティーの

それぞれの家族の名前を口に出したり知っていたりするでしょう。 おそらくほんの少し

ではないでしょうか。

 

70歳台前半の元看護主任で重い病気を患った方と話をした時のことです。

 

看護主任: 家族の会の時に私は怒ったんですよ。その家族にもっと両親の見舞いに来なさ

いと話をしたんです。 ほとんどが、一か月に一回も来ませんでしたから。

私:   それは私も気が付きました。 見舞いに来る家族は少ないです。

 

看護主任: だから、いくら忙しくてもお見舞いに来るように話したんです。

      彼らが仕事で非常に忙しいのは分かっていますけど、お見舞いも同じように

      大切なんです。 私もほぼ1年間入院した経験があって、病室に一人でいる

      ことがどういう感じか知っているんです。 ほとんどの時間、悲しくて、自分

を惨めに感じることになるんです。だから、家族が訪問するというのは、

本当に大きな意味があるんです。 それだけじゃなく、看護師や医師の笑顔を

見ることが患者さんを幸せにすることもあるんです。 

ある日、私はお医者さんにこう言ったんです。

「先生、お薬をくださる代わりに、もっと私たちのところに来ていただけ

 ませんか。」 []

 

私:   それで、お医者様は何と答えられたんですか。

看護主任: ただ笑っただけです。[ずっと笑っていました]

私:    [笑いながら] フィリピンでは、家族が入院すると十分に面倒をみて、

      親戚も毎日のようにお見舞いに来るんですよ。

      こちらでは、家族はほとんど見舞いに来てくれませんね。

看護主任: 日本も昔はそうだったんですよ。 介護士というのが未だ一般的な

      仕事ではなかった頃は。  私たちも良く家族の世話をして、尊重して、

      優先していたんです。 でも、今の世代は、特に核家族が増えてから、大きく

      変わってしまった。 ほとんどの若い人たちは両親よりも仕事を優先するし、

      都会に住みたがるわね。それで私は怒ってしまったわけ。

 

その看護主任と話しているうちに、私は大学のアドバイザーの話を思い出しました。

昔の先生たちは今の先生たちに比べるともっと厳しかったと話してくれたのです。

昔の先生たちは、学生が間違った時には罰を与えたり叱ることができたけれど、今は学生

が学校に来なくなったりするからそれも出来なくなったと。

私は、私たちが元看護主任の70歳台始めの世代、そして50歳台後半より前の先生と同

じような環境にいるような気がしました。 何故なら、私の子供時代と同じような経験だか

らです。 フィリピンでは、特に田舎では、大家族が未だ普通のことですし、子供たちは同

じ歳のご近所さんと楽しんだり遊んだりしています。 そして、既に述べたように、家族や

近隣でお互いに助け合ったりするのは今でも行われていることなのです。

 

こんな言葉をニュースで読んだり、多くの日本人から聞いたことがあります。

[家族に迷惑をかけたくない]という言葉です。 だから、一人の生活の方がいいのですね。

もしフィリピン人の中に、両親と一緒に住んだり、年寄りだから世話をするのは面倒だと

思う人がいたら、私は賭けてもいいです。 もしかしたらいるかもしれませんが、ほんの

少しだと思います。 なぜかと言えば、フィリピン人は両親が年老いたら世話をするの

当たり前だと思っているからです。 そして、家族の誰かがどんな状態であっても、それが

迷惑だと思ったことは絶対にありません。 家族なのですから、困難な時に助け合うのは

自然なことです。 これは文化の違いによるものでしょうか。 それとも、世代の変化に

よるものなのでしょうか。

 

核家族や単独世帯が増加し、若い世代が減少したため、こんなニュースも読みました。

それは、日本人の中には結婚式の時に疑似家族や友達として立ち合ってもらうために誰か

をレンタルする人がいると言うのです。 ソーシャル・ネットワークに掲載するために、誰

かを雇って一緒に写真を撮ったり、父親がいなくて子供がいることを知られると両親が怖

いので誰かに父親役をやってもらうために雇ったり、ただ単に話し相手が欲しくて聞いて

くれる人をレンタルしたり、等。

 


  時々私は思うのですが、フィリピンの経済が将来改善したら、必要だと思った時に

フィリピン人が偽物の友達を雇ったり、ただ一緒に居てもらったりする時代がくるのだろ

うかと。 そして、フィリピンで核家族や単独世帯が増えたとしたら、私たちの両親も自分

自身を迷惑な存在だと感じたり、一人で生活した方が良いと思うのだろうかと。 そして、

若い世代が、外に出て誰かに会うよりも、家の中に閉じこもっている方がいいと思うような

時代がくるのでしょうか。 ちょっとそんなことを考えるだけで悲しい気持ちになります。 

自分の家族や親戚ですら見知らぬ人になるかのような、人間性の感覚を失うようなことだ

と感じるからです。 便利であることは良いと思うのですが、それに過剰に頼ることは、他

の人たちの助けを求めたり家族と一緒の時間を過ごすことよりも、私たちの心と時間を奪

ってしまうのではないかと思うのです。


 

=== 終 ===

 

 

 

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