いくついけば気が済むの? : 初詣 東京・府中の大國魂神社と 埼玉・大宮の氷川神社、そしておまけに 時宗・称名寺と曹洞宗・東光寺
いくついけば気が済むの? : 初詣 東京・府中の大國魂神社と 埼玉・大宮の氷川神社、そしておまけに 時宗・称名寺と曹洞宗・東光寺
前回は地元の近場で、初詣と七福神巡りに行ったのですが、まだまだ一月中だって
ことで、ちょっと足を延ばして東京・府中にある大國魂神社と 埼玉・大宮にある
氷川神社、そして、ついでに時宗の称名寺と曹洞宗の東光寺にも行ってみました。
(ついででスミマセン)
1. 大國魂神社 1月13日
この神社は、wikipediaの神社の旧社格のリストによれば、「官幣小社」になっています。
公式サイトはこちらです:
https://www.ookunitamajinja.or.jp/
「当社の御祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]で武蔵の国魂の神と仰いで
お祀りしたものである。この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神で昔この国土を
開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。」
では、JR府中本町下車で、歩き回った順に眺めていきましょう。
JR府中本町駅 ― 時宗・称名寺 ― 京王線府中駅 ― 大國魂神社 と歩きます。
府中本町駅のすぐ近くに大國魂神社の鳥居があるのですが、その鳥居は横からはいる
鳥居なので、ここは府中街道に沿って一旦府中駅へ向かいます。
その途中に府中市役所や時宗の称名寺があります。
ここが称名寺さんです。
門前には、なぜか「天然温泉・縄文の湯」の旗が並んでいました。
http://www.to-ji.net/access.html
この称名寺さんは、子育て地蔵で有名みたいです。
私の孫たちのために拝んでおきました。
時宗と言えば一遍上人です。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E9%81%8D-31571
「一遍は止住する寺をもたず、少数の弟子を同伴して全国各地を遊行したので遊行上人
(1世)とも捨聖(すてひじり)ともいわれた。行く先々で民衆に念仏を勧め、所によって
それは踊念仏にまで高揚することもあった。」
「一遍の教法の特色は、衆生(機・能帰(のうき))と阿弥陀仏(法・所帰(しょき))とを
一体とみる(機法不二(きほうふに)・能所(のうしょ)一体)ところにある。この能所一体は
南無阿弥陀仏と唱える名号において実現されると説く。また神祇(じんぎ)に対しても不拝を
説く法然(ほうねん)(源空(げんくう))や親鸞(しんらん)とは異なり、一遍は神祇崇拝を
肯定する。そのほか、西山教学の継承、真言密教の影響、禅との親近なども指摘されている。」
・・・なるほど、確かに密教っぽい感じもありますね。
はい、こちらが京王線の府中駅です。
府中は思った以上に都会でした。 それもそのはず、府中市HPの「歴史沿革」を
読んでみると、
「西暦645年の大化の改新以降、武蔵国の国府が置かれ、早くから政治、経済、文化の中心
地として栄えてきました。鎌倉時代末期は合戦の舞台となり、江戸時代には甲州街道の宿場
町として栄え、明治以降は郡役所が置かれるなど、多摩地域の中心として歴史的役割を担っ
てきました。」
・・・という立派な歴史がありました。
ちなみに、JR府中本町駅のすぐ横には、こんな史跡があります。
ほお、家康さんの御殿もあったんですねえ。
さて、京王・府中駅から大國魂神社までの立派なけやき並木をまっすぐに歩くと、
このような神社の正面に出ます。
この立派なけやき並木は、八幡太郎・源義家が寄進した苗木千本が大元だそうです。
さあ、いよいよ神社の境内です。
疫病退散・・・ほんとに、真面目にお願いしますよ。 神様仏様・・・
さすがに、13日ともなると、露天は終了していました。
境内に入ったすぐ右にあったお休み処の方の話では、1月10日の成人の日の時までは
初詣客も多くて、露天も賑わっていたそうです。
参道には、こんな慰霊碑と大きな鳥居がありました。
随身門の大扉にはこの御印がありました。
それもそのはず、公式サイトに「明治元年(1868)准勅祭社に列せられ、同7年(1874)
県社に列し、同18年官幣小社に列せられた。」とあります。
こちらでは、書初めの力作が展示されていました。
ああ、習字を真面目にやっておくべきだった・・・とつくづく思います。
中雀門です。 奥に見えるのが拝殿です。
13日ともなると、ゆったりと参拝ができました。
神職の皆さんは忙しそうに境内を速足で行ったり来たりしていました。
こちらは、境内にある「東照宮」です。
おなじ並びに、大鷲神社(おおとりじんじゃ)と住吉神社の二つの大阪出身の神様が祀られ
ていました。
さて、おみくじです。
筒を振って、出て来た棒に書いてある番号で、おみくじをいただきました。
四十二番は「大吉」でした。 ありがたや~~。
ちなみに、地元の氷川神社では「末吉」でした。 グレードアップに成功です。
随身門の内側の両側には、大黒様と恵比寿様がいらっしゃいました。
表側は弓を持った侍の神様がガードマンをやっています。
大鳥居の交差点の角にある府中テラスで、十数年振りに高校時代の同期生2名と待ち合わせ。
ハムとノンアルコール・ビールで乾杯。
東京での同期会が2年間開けないまま過ぎてしまい、ここで3人だけのミニミニ同期会に
なりました。
さて、お次は 埼玉県大宮の氷川神社を歩いてみましょう。
2. 氷川神社 1月17日
氷川神社はあちこちにあるんですが、この大宮の氷川神社は旧社格ではトップクラスの
神社だそうです。
はい、官幣大社・・・だそうです。 どれだけ偉いんでしょうか。
旧社格制度によれば、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E6%A0%BC%E5%88%B6%E5%BA%A6
「官社とは、祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社である。官社は神祇官が祀る官幣社
と、地方官(国司)が祀る国幣社に分けられ、律令制の社格に倣ってそれぞれに大・中・小
の格があり、「昇格」が行われた。官幣社・国幣社をまとめて官国幣社ともいう。
主として官幣社は二十二社や天皇・皇族を祀る神社など朝廷に縁のある神社、国幣社は各国
の一宮や地方の有力神社が中心である。」
これは遠くに見える「二の鳥居」です。
こちらが、公式サイトです:
https://www.musashiichinomiya-hikawa.or.jp/about/index.html
「氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の
御創立と伝えられます。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされたと
伝わっております。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により
武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めた
と伝わります。第四十五代聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、第六十代醍醐天皇の
御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、
又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けてまいりました。」
「明治天皇は当社に行幸、御自ら祭儀を執り行わせられ、更に3年11月1日再び御親祭
あらせられました。次で明治4年5月14日に官幣大社に列せられ、明治11年8月31日
には明治天皇が当社に三度目の行幸をされました。」
・・・と言うことで、朝廷との関わりが深く、出雲族がここに引っ越してきたよう
ですね。
大國魂神社は官幣小社でしたが、こちらの「武蔵一の宮・氷川神社」は官幣大社なんだ
そうです。
大國魂神社はスサノウノミコトの御子神を祀ってあると書いてありましたので、
そのお父さんであるスサノウノミコトがこちらの氷川神社に祀られていると考えると、
小人(こども)と大人の関係が、旧社格に表れているということなんでしょうか?
ところがどっこい、こちらのサイトに、こんな解説がありました:
神社の一宮、二宮、三宮、・・・という順番はどんな意味があるのですか? - Yahoo!知恵袋
「一宮、二宮、三宮....という序列は、時代によって変化したりしてます。
例えば、「武蔵国」=現在の東京+埼玉の場合、平安時代までの序列は、
以下のようになります 一ノ宮 小野神社 東京都多摩市一ノ宮 御祭神・・・天ノ下春命(国造の祖神) 二ノ宮 二宮神社(小河神社) 東京都あきる野市二宮 御祭神・・・国常立尊 三ノ宮 氷川神社 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町 御祭神・・・須佐之男命・稲田姫命・大己貴命 四ノ宮 秩父神社 埼玉県秩父市番場町 御祭神・・・八意思金命・知知夫彦命・天之御中主神 五ノ宮 金鑚神社 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮 御祭神・・・天照大神・素戔鳴尊・大和武尊 六ノ宮 杉山神社 神奈川県横浜市緑区西八朔町 御祭神・・・五十猛命・大日孁貴命・素戔鳴尊 「総社」は、府中市の大國魂神社であり、上記の六宮を祀ってます しかし、
その後、三宮だった「氷川神社」が一宮となり、逆転してます」
さて、ルートを確認しておきましょう。
私は、JR大宮駅から 上記の図の「大宮中央通り」をまっすぐ歩いて、緑色の参道から
「二の鳥居」へと向かいました。
しかし、この図を見てびっくり、「一の鳥居」は、なんと「さいたま新都心駅」方面に
あるんですね。 参道の全長は2キロメートルぐらいあるそうです。
次回は「一の鳥居」から歩いてみなくちゃいけません。
こちらが「三の鳥居」です。
こちらが境内の案内図です。 「三の鳥居」から「楼門」へ歩きます。
「神池」にかかる朱色の橋。 奥に「楼門」がみえます。
これが楼門の内側です。
楼門をくぐると、この舞殿があります。
公式サイトによれば、
「節分祭り・・・舞殿にて弓の弦を鳴らす鳴弦の儀の後、豆をまき災厄を祓います。」
また、別の祭りでもこの舞殿を使うようです。
「鎮花祭 祭典日:4月5~7日
7日の大祭には菱餅に桜花を乗せお供えします。三日間とも祭典中氏子中の童女による
花しづめの舞を奉奏します。花しづめの舞は千早という装束を着、桜のかんざしに桜の枝を
持つ「乙女」四人と、さらに年若の「つぼみ」二人による舞です。前半は桜を持ち、田植え
の所作が入り今様の曲で舞い、後半は桜と鈴を持ち琴の伴奏で舞います。」
・・・と書いてあります。
拝殿でしっかりお願いを済ませました。
この神社で驚いたのは、これです。
「ふくろ絵馬」だそうです。 カラフルでなかなか可愛い絵馬です。
初めて見ました。
ちなみに、ここでは私はおみくじを引きませんでした。
と言うのは、既に大國魂神社で「大吉」をいただいたからです。
せっかくの大吉、それも地元の氷川神社(四ノ宮)で末吉だったのが、官幣小社の
大國魂神社で大吉になったんですから、官幣大社で一の宮の氷川神社でランクを落とされ
たらがっくりきますからねえ。ここではやめておきました。
案の定、わが相棒は、大國魂神社で大吉だったのに、大宮・氷川神社では「向吉」に
なってしまいました。
この「向吉」なんですが、普通の神社にはないみたいです。
「おみくじの順番(正しい吉凶の順)」というサイトがありました。
https://www.omikuji-do.com/column/5297/
このサイトでは17種のおみくじの順番を書いてありまして、
大吉―向大吉―末大吉という順番になっていますので、「向吉」は「大吉」と「末吉」の
間のラッキー度ってことになりそうです。
いろいろ検索していたら、そのものずばりの人がいました。
大宮氷川神社で「向吉(むこうきち)」を引いた人がいたんです。
https://bokuiki.com/article/amukoukiti.html
「向吉(むこうきち)とは?
これから吉に向かうという意味で、中吉と小吉の真ん中のようなもの。
「向吉」はどちらかと言えば吉に向かっていく前向きな運勢」
・・・だそうです。
拝殿から東門を出たところに、「門客人神社」というのがありました。
これと「楼門」と「随身門」との関わりをちょっと調べてみたんです。
大宮氷川神社の「楼門」にはガードマンのような警護の神様はいません。
一方で、大國魂神社の楼門は「随身門」と呼ばれていて、侍のような神様が門を
守っているんです。
この違いは何なんだ・・・ってことが気になるわけです。
そこで絡んでくるのが、どうも「門客人神社」のようなのです。
こちらのサイトの解説に、こんな記述があります。
https://anahita-style.com/reading/menousanpo/139515/
「また、警護のために、門では無くお社を構えている神社もあります。
日御碕神社です。柱の両脇に向かい合わせに見えるお社が「門客人社(かどまろうどしゃ)」。
祀られている神様は前述のクシイワマド、トヨイワマド。」
そこで、wikipediaの「氷川神社」を読んでみたところ、下記の記述がありました。
「社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建という。「国造本紀」によると、初代无邪志
国造の兄多毛比命は成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲族をひきつれてこの地に移住し、
祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。この一帯は出雲族が開拓した地であり、
武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)由来するという説がある。
一方、氷川神社の摂社に「門客人神社」がある(現在も氷川神社社殿の東隣に鎮座)。元々
は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として
祀られている。このアラハバキ社は氷川神社の地主神である。現在祀られている出雲系の
神は、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたもので、先住の神がアラハバキと
みられる。」
・・・つまり、大宮・氷川神社の場合は、「門客人神社」の先住の神アラハバキが、
移住してきた出雲族の神を警護している形になっているようです。
神社の「楼門」と「随身門」を、仏教寺院の「山門」と比べた場合、元々お寺の
山門を守っていた阿吽の仁王像がいたわけですが、廃仏毀釈の時代にお寺が神社に
衣替えした名残りがあるのではないかと見えます。
さて、それはともかく、
初詣を終わって、大宮公園の小動物公園をめざしたのですが、なんと月曜日は定休日
になっていて、がっかり。
さらに歩いて、広い池に行ってみると、水鳥たちが元気にシンクロナイズド・スイミング
をやっていました。
これが気分を良くしてくれました。
そして、大宮公園を出たところには、蠟梅が咲いていました。
道なりに行くと、護国神社がありました。
こちらは人っ子一人いません。
埼玉県出身の若者たちが戦争で亡くなった人数が掲示されていました。
フィリピン周辺ではほぼ1万人が亡くなったそうです。
そして、大宮駅への帰り道、超びっくりのお寺を発見しました。
曹洞宗・東光寺です。
http://xn----d8ta6sza9441cowp24u.com/meguru/
何が驚いたかっていうと、山門の両側の「かんのん堂」と「じぞう堂」です。
こちらは「じぞう堂」のお地蔵様です。
まさに、時代を先取りしたお寺です。
もちろん、本堂には従来型の薬師如来さまが祀られています。
公式サイトには、
「東光寺は当初天台宗のお寺で薬師如来をご本尊としていたことの名残。薬師如来の後ろ
には、現在のご本尊であるお釈迦様を中心に、右手には知恵をつかさどる文殊菩薩が、左手
には修行をつかさどる普賢菩薩の釈迦三尊が安置されています。」
・・・とありまして、御本尊はお釈迦様だそうです。
そして、山門に掲げられた「仏法僧」の額。
誰にでも解るように意味が書いてありました。
この日は、全部で1万7千歩ぐらいを歩いてしまい、腰がヨレヨレになりました。
そこで、大宮そごうのレストラン街で食べたのが「薬膳御膳」となりました。
ご馳走様でした。
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