友松圓諦著「阿含経入門」 ― その5(完) お釈迦さんは実証主義で現実主義、僧侶に「あなたは極楽浄土をみたことがあるのか」と問う?
友松圓諦著「阿含経入門」 ― その5(完) お釈迦さんは実証主義で現実主義、僧侶に「あなたは極楽浄土をみたことがあるのか」と問う?
最古の仏教経典とされている「阿含経」の入門書を読んでいます。
「阿含経概説」を読みましょう。
p198
ちょうど、お灸をすえている人間法然を見出したように、まったく、この阿含経の中に、
いまだ誰人も教えてくれなかったところの人間釈尊にお目にかかることができました。
ここでは釈尊の身体は私たちと何のちがうところのないものです。 ときには風邪を
ひかれ、腹をいため、背痛をおぼえられました。
・・・阿含経に出ずる肉体の釈尊というものはまことに平凡なものでありました。
p200
それだけに大乗仏教の諸経典に登場するような芝居がかった釈尊ではありません。
・・・それだけに、現代のような社会に息つまりながら生きている私たちのこころには
かえって親しいものとして受けとれます。
p202
・・・彼の目は人間の上に投げられました。 卑近な人民の日々の生活の上に彼の
注意は集められました。 彼の目は天上や架空に向けられてはいませんでした。
==>> ここには、いわゆる生身の人間であるお釈迦様の姿が書かれていることを
伝えています。 宇宙空間に浮かんでいるような、別世界に住んでいる
ような仏様ではないということです。
そこで、気になるのが、キリスト教の場合はどうなのだろうという点です。
気になる人はとりあえず、こちらのサイトでご覧ください。
(このサイトの記事内容がどこまで正しいのかは知りませんけど・・・)
https://jugo-blog.com/jesus-christ1
「よくある勘違いとしては、冒頭にも書きましたが、「イエス自身がキリスト教
を開いた」というものです。これは、ウソですからね。
イエス自身の唱えた思想は、ユダヤ教の枠内にとどまっていました。たとえば
「隣人を愛せ」というイエスの言葉がありますが、かれが想定していた「隣人」
とはユダヤ人のみのことです。」
・・・・私は歴史上の等身大のイエス像が知りたいのですが、上記と同じ
ように、お釈迦さんが仏教をつくるつもりはなかったことは既に本で
学びました。 実際に「真のバラモンとは・・・・」のような言い方をして
いますしね。
ほとんどの宗教が教祖と言われる人の弟子たちが宗教にまで盛ったみたいです
からね。つまり、教祖の神格化ですね。
p203
衣食にゆたかなる者、労せずして得るところある人々には、みずから思うところは
期せずして形而上の世界、観念の床であります。 生活にいささかも苦労なき人々の
考えはとかく現実を離れた、考えのための考えの世界をさまようものです。
しかるに、阿含に出ずる釈尊は、みずからその衣食をその日の午前に得ました。
いわば、その日かせぎの労働者と同じような体験をもたれました。
==>> これはまさしく、今実際に私がやっている「考えのための考えの世界」で
あるわけです。
私は「ゆたかなる」には該当しませんが、少なくとも年金生活ですから
「労せずして得るところ」はあるわけです。
幸か不幸か、現実を離れているということになります。
しかし、まあ、もう七十を超えているわけですから、ご勘弁ください。
p206
・・・さとりは智慧と慈悲との高次における総合的体験ではなかったろうかと考えます。
もちろん、この言い方はほんの私が阿含経を読みゆくうちにふと感じたあらわし方に
すぎませんが、しかし、今日まで俗間でいわれているような神変不可思議なものが
さとりではありません。 天界にかけのぼって、宇宙の真理をつかんだようなものでは
ありません。 ・・・ただ哲学上の真理を会得したということも、このさとりという
体験の宗教味をあまりにも軽視している言い方です。
==>> つまり、阿含経において学ぶべきは、不可思議な神秘的宗教でもなく、
ただ単に哲学的理解でもなく、智慧と慈悲に基づく実際的な活動という
ことになりそうです。
要するに、私が今まで読書によって理解しようとしてきた宗教に関するものは
ことごとく「アホちゃうか」ってことになっちまいそうです。
自己弁護が許されるならば、私の読書のテーマは「意識とは何か」ですから、
ってことになるのかも。
そして、それを理解するために、宗教と哲学と科学の3つの本をとっかえ
ひっかえ読んでいるってことです。
p209
釈尊の到達されたさとりなるものは、なにか一瞬の感激によって頓悟することだけが
その全貌だと考えこむことは、はたして正鵠を得ているでありましょうか。
すでに、四諦、苦集滅道の四つの真理の説明において、「滅(さとり)」にいたらんとする
者は道、すなわち八正道によるべしと主張されている以上、この八正道を体現し、実践
する者こそがさとりに入るのであります。
八正道とは仏教でいう中道です。 極端な苦や楽の行為に偏せずして、通常中正な生活
態度をとってゆくことです。
・・・公正、平等、慈悲といわるるごとき行動を実践してゆくところに到達しうるのです。
==>> さて、この仏教における「中道」なんですが、以下のような解説が
ありました。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E9%81%93%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29-1563033
「仏陀(ぶっだ)は苦行と快楽を離れた中正な方法(苦楽中道)によって悟りに
到達し、それを具体化するために八正道(はっしょうどう)を説いた。大乗仏教
ではこの考えがさらに深められ、有(う)・無(む)、生(しょう)・滅(めつ)などに
代表されるような日常的な観念やことばを超えたところに究極的な真理があり、
それに達するために「すべてのものは空(くう)である」とみることが中道である
とされる。」
・・・ここにあるように、仏陀が語ったものと、大乗仏教のそれとの間には、
「日常的な観念やことばを超えた」という変化があるわけですね。
著者の友松さんは、この点を批判的に書いているんです。
大乗仏教は観念的、神秘的になり過ぎでしょ、ってことです。
p211
それゆえに、人がもし、大乗経典を読みなれた目でこの阿含経を手にされるなら、
いささか失望と驚嘆とを覚えることでしょう。
しかし私ども、近代科学の洗礼をうけてきた者たちにとっては、文学的創作ならばいざ
知らず、誦しては朝の心をととのえ、読んでは夕の思いを正さんとして、経典を手にせんと
する以上、この平凡にして常識の世界を取扱う阿含経こそが私どものたましいの資糧で
ありうるでしょう。
==>> はい、たとえば、一番人気の「般若心経」みたいなのを覚えて、読まずに
唱えられる人って、なんだかカッコいいですもんねえ。
口にしている言葉も分からず、意味も分からず、その解釈本も専門家と
言われている人たちの数ほどある「般若心経」ですからねえ。
まあ、ぶっちゃけ、分からないほどレベルが高くみえて、有難いって話
になるんでしょうか。
まあ、たしかに、考えてみると、変な話ではありますね。
p212
釈尊も疾病には克つことができず、しかるべき薬餌にしたしみ、ときには医師の治療を
おうけになりました。 ここには仏教が医学と並行しうる宗教であることのスタートが
見受けられます。
==>> いろいろ検索しても、お釈迦さんが生存していた時代の医術について
はっきりしたことを書いてあるものが見当たりませんが、
とりあえずは、こちらの辞書で確認しておきましょう。
https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%8C%BB%E5%AD%A6-1201667
「釈迦の時代にジーバカ(耆婆(ぎば))という名医が活躍していたことはあまり
にも有名である。医学的記事が最も多く見いだされるのは三蔵のうちの〈律蔵〉
であり,出家者の日常生活の規定の一部として医事・薬事が詳しく語られて
いる。」
こちらのサイトでもちょっとだけ触れています。
https://nemureru-shishi.com/igaku/
「古代インド医学の原型は、紀元前1500年頃に北方から侵入したアーリア人に
よって築かれました。インド特有の宇宙哲学や呪術的医療とともに、形成、外傷
医療などの外科手術が発達したそうです。」
p216
釈尊はその一生をまったくそうした不純な当時の宗教を革新するためにささげられました。
釈尊のさとりの体験は、よしたとえその当時に宗教の及ばざるところであって、釈尊に
おいての特色ある体験であったにせよ、釈尊は決して、私の見るところでは、インドに
おける新宗教を樹立されたものとは思えません。
ただほんとうの宗教を復興せんがために、いままでの宗教を改新しようとされたものだと
思います。
p217
さてこそ今日でもインド民族は、釈尊をもってインド教のひとりの祖としてかぞえている
ほどです。
==>> お釈迦さんは、インド教の祖のひとりであって、新宗教である仏教を創る
という意図はなかったようです。
これは、親鸞さんの浄土真宗と似たような感じですかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97
「親鸞自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できたことを生涯の喜びとした。
宗旨名として「浄土真宗」を用いるようになったのは親鸞の没後である。」
p221
いわんや、当時の民間宗教のはなはだしい迷信的なものに対してはするどい批評を与えて
いられます。 当時の信仰の一つとして、神に動物の血や乳を火にあぶってささげること
はこのうえもなく神を尊敬することであり、このことによって自分は死後、天に生まれる
ことができると信じていました。 阿含経は全編を通じて幾回となくこうした祭祀の
あやまれる所以を力説しています。
p222
釈尊はひどく実証的知識の支持者であったとみえて、生天の約束をなすバラモン僧侶は、
はたしてかかる天をみずから見たることありやとさえたずねられています。もちろん、
釈尊といえども、当時の信仰たる生天思想を一概に信徒の上に否定されはしなかった
けれども、生天を盾に、いたずらなる犠牲をささげることの無意味なるを力説されました。
==>> スッタニパータには次のような箇所がありました。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/06/post-603c.html
「846 ヴェーダの達人は・・・・かれは宗教的行為によっても導かれないし、
また伝統的な学問によっても導かれない。 かれは執著の巣窟に導き入れら
れることがない。
・・・「宗教的行為によっても」って、どういうこと??
ここはちょっと重要みたいです。 解説をみると、こう書いてあります:
「祭祀や儀礼が宗教にとって本質的なものであるという見解に従うならば、
原始仏教は宗教を否定しているということになる。」 」
そしてさらには、こんな部分もありました。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2012/08/post-58dc.html
「1146 (師ブッダが現れていった)、ヴァッカリやバドラーヴダや
アーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた
信仰を捨て去れ。 そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。 ピンギヤよ。
・・・「信仰を捨て去れ」 ですよ!! 凄いことが書いてありますね。
そこで、巻末の解説をよみますと:
「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。
釈迦がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、その時に釈迦が梵天に
向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」といって、「信仰を捨てよ」という。
恐らくヴェーダの宗教や民間の諸宗教の教条(ドグマ)に対する信仰を捨てよ、
という意味なのであろう。最初期の仏教は<信仰>なるものを説かなかった。
何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。「スッタニパータ」の中でも、遅い層になって、仏の説いた理法に対する
「信仰」を説くようになった。 」
・・・つまり、このお釈迦さんが生きていた時代の従来の宗教であるバラモン教
は、お釈迦様の目には、はなはだ迷信やドグマに溢れていて無意味な祭祀を
やっているように見えたということのようです。
大乗仏教の僧侶に対して、「あなたは極楽浄土に行ってみたことがあるのか」
と言うようなもんですね。
p226
釈尊自体からいえば、その当時のバラモン本位の階級制度に対して、強いいきどおりを
もっていられたことは事実です。 自分らの階級だけの利益を本位に考えて、他のより
低い種姓に対してひどい宗教的差別待遇を与えていることをにがにがしく思っていられた
ことだけは事実です。
p227
・・・自分の周囲にできました僧団、男女の二種の僧団の中にはいっさいそうした四姓制度
をこばんでしまいました。 いかなる貴姓出身の者も卑しい生まれの長老先輩には定めの
礼儀をつくさねばなりませんでした。
==>> ここでは、いわゆるカースト制度に対する「社会革命家としての意見も実践
もありませんでした」とも書いてあります。それは一方でお釈迦さんの
現実主義的な一面もみせているようです。
それは、現代のインドが独立した後に憲法で平等主義が謳われたあとも、
現然としてカースト制度の根深い伝統が残っていることをみれば
理解できるのではないかと思います。
このブログのその1に書いたとおりです。
現在のインド仏教が「改宗運動」をやっていることは、このお釈迦さんが
やっていたことと同じことをやっているようにも見えます。
p231
釈尊は親しく七法をもってこの国の政治社会の堅固なる所以を答えられています。
p232
これによりますと、上下協力して共議的に政治を勧めゆくことのもっとも大切なことを
力説していられますので、専制的な政治よりは民主的な、万機公論に決するというような
政体に好意をもっていられたと思われます。
・・・この行政的な理想が、そのまま釈尊教団の内部統制には採用されていますことは
注意すべきことであります。
==>> この部分は、宗教団体でありながら、専制的にはならず、個人崇拝をせず、
民主的な団体であろうとした点が素晴らしいと思います。
お釈迦さんの当時は、それこそ王国や王朝という時代ですから、こういう
考え方がいかに先進的なものであったのかが解ろうというものです。
p237
阿含経は釈尊一仏の言行であることはいうまでもありませんが、その成立年代がかなり
長期にわたっているらしいがために、すでに、過去七仏、未来仏、その他、本生物語
に出ずる幾多の仏陀の登場を見ています。 しかし、それはいうまでもなくみな
史上の一仏、釈尊をつよく、深く、ながく、とらえんがために思想上うまれ出たもので
あることはいうまでもありません。
==>> はい、「いうまでもありません。」
p238
四つとはいいましたが、たとえば長阿含は二十二巻、三十経、 中阿含は六十巻、
二百二十二経、 雑阿含は五十巻、一千三百六十二経、 増一阿含は五十一巻、
五十二品、四百四十経というたいそうな数をもっています。
長阿含の収める遊行経のように非常に長い経文もあれば・・・・・
==>> さて、これで「阿含経概説」を終わりました。
ここにあるように、阿含経というのは膨大な数のお経群であるようです。
そして、筆者である友松さんは「遊行経」をイチ押しの経としている
ようです。 なので、さっそく買ってしまいました。
まあ、上下巻になっていますので、いつになったら読めるのか分かりませんが、
いずれこのブログでご紹介したいと思います。
ちなみに、この本は、インターネットで検索したところ、一冊が4~6千円という
古書扱いになっているサイトもありました。
しかし、いろいろ探したところ、一冊が1~2千円で買えるところもありました。
ところで、
この本の巻末に、著者・友松圓諦氏の紹介記事がありまして、
「仏教の原点復帰の精神」というタイトルで石上善應氏が書かれています。
それによりますと:
友松氏は、名古屋生まれで、両親は熱心な真宗の信者であり、浄土宗の寺院で育ち、
現在の大正大学を卒業し、慶應義塾大学の史学科、ハイデルベルク大学、ソルボンヌ大学
などで学んだそうです。
また、昭和8年に、国際仏教教会の設立や明治仏教編纂所の設立、昭和29年には
全日本仏教界の創設にも参画されたようです。
そして、最後に、友松先生は「阿含経」と名のつく本を数冊出版しておられると、
書いてあるのですが、「遊行経」については残念ながら今回インターネットで探した中では
発見できませんでした。なので、私が今回買ったのは中村元氏の訳本です。
いずれにせよ、今回のこの「阿含経入門」だけでも、お釈迦さんが生きていた時代の
本来の思想を垣間見ることができたと思います。
==== 完 ====
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