私にとっての写経と写仏、なにが違うか、文殊菩薩に訊いてみた

 

私にとっての写経と写仏、なにが違うか、文殊菩薩に訊いてみた

 

 

私が月に一回瞑想の会に通っている真言宗のお寺で、春に写経会、秋には写仏会

開くというので、参加してみました。

 

 

実際に体験してみた個人的な感想を書いてみます。

 

まず、写経にしても写仏にしても、一応は修行のひとつであって、それを納めることに

よって何らかの功徳があるものだと、一般的な話として、私は理解していますが、

私が参加したのは単なる好奇心です。

 

そこでまずは、インターネットで、写経と写仏の基本的な意味を確認しておきましょう。

 

写経とは?意味や魅力

https://www.jalan.net/news/article/492169/

 

― 写経はもともと、学僧が経典を学んだり、複製して全国に広めていくための行為でした。

― 奈良時代、聖武天皇のころには専門の「写経司(しゃきょうし)」がいて、書き写され

た経典が全国の国分寺などに配られました。

― 平安時代ごろから、写経することによって「功徳(くどく)が得られる」と考えられる

ようになり、先祖供養、祈願成就、個人の仏道修行などを目的として広く行われるよう

になったようです。

― 一字一字書き写していくごとに、雑念が払われ、心が落ち着いてきます。

― 「手書きで文字を書く行為は、脳の前頭葉の活発化が期待できる」という研究結果は

数多くあります。

― 字がきれいになる。写経のお手本は、美しい字で書かれています。

なぞり書きのお手本もあります。

 

つぎに、写仏をみてみましょう。

 

写仏って何?写仏の意味や歴史

https://engimono.net/luckycharm/utsushi-hotoke/

 

― 写仏とは文字が表している通り、「仏様の絵を模写すること」です。

― 経典を読むことができない人は、この仏画を模写することで経典を読んだことと

同じことになり、仏の道に近づくことができるとされていました。

― 心を込めて丁寧に模写すれば、極楽浄土へ行くことができる、とされていたのですね。

― 嵯峨天皇の皇后にあたる檀林(だんりん)皇后は、国民が疫病から救われるようにと

いう願いを込めて、嵯峨天皇が国民のことを思って写経した般若心経の表紙に

『薬師三尊』を模写されました。これが写仏の始まりと言われています。

― ほとんどの場合は、『如来(にょらい)』『菩薩(ぼさつ)』『明王(みょうおう)』

『天部(てんぶ)』『弘法大師(こうぼうだいし)』から選ばれて写仏されます。

― 写仏をする際には、邪念をすべて取り払わなければいけません。邪念があると、線が

歪んだりにじんだりするのだそうです。

― 写仏は集中力が必要です。集中力が途切れると、美しい仏様の模写ができなくなって

しまうからです。

― 写仏をすると周りの状況が全く気にならなくなります。自分の内側にこもって仏画

と向き合うからです。

― 写仏と言っても、ただ単に仏様の絵を模写するだけではなく、そこには仏の道を歩む

という深い意味があります。

 

・・・以上が、一般的な写経と写仏の解説ですが、以下に私の感想を書いてみます。

 

 

2021年5月8日に「写経会」に参加しました。

 

 


お寺は、地元にある真言宗の錫杖寺でして、月に一度の「阿字観会」(瞑想会)や

写経会、写仏会が開かれていて、私のような檀家ではない人でも参加できます。

 

この錫杖寺の公式サイトは、こちらです:

なかなかの由緒のあるお寺さんであるようです。

http://shakujyoji.com/

「当山は江戸幕府開府以来、徳川家との関連は深く、御朱印寺領二十石を賜り、歴代将軍

による日光社参の際の休憩所と定められ、由緒と格式をもつ寺院として開創以来法灯を

絶やすことなく燈し続けております。」

 

 


ここにも書かれているように、「自身の修行として」やるもののようです。

「お願いが成就するように」、「お経の功徳を授かる」ともあります。

 


写経会の会場は、本堂の下にある広間です。

 


写経は定番の「般若心経」です。

「智山勤行式」というのは、写経の前に行う「お勤め」の内容が書かれています。

このお寺は真言宗智山派ですので、「般若心経」も唱えます。

 



これが智山勤行式にある「般若心経」です。

写経をする時に、漢字が分らない場合は、これで確認ができました。

 


そして、これが私が写したお経です。

 

実際にやってみた感想ですが、

まずお勤めの中で、般若心経などを唱えますので、写経に対する心の準備ができます。

写経そのものの時間は1時間ほどしかありませんので、「あと何分です」と声が掛かると

焦ってしまいますので、丁寧に書きながらも、やや速く書いていかないといけません

ですから、余計なことを考えている暇はありません。 結果的に書くことに集中すること

になります。 

 

お願いごとは、「右為」と書いた下に「家内安全」とか「身体健康」などの言葉を

書くようになっています。 私は「宇宙の真理が分かりますように」と、変なことを

書いたのですが、これは「私が分る」という意味ではなく、「人類が分る」時が

早くくればいいなという意味で書きました。

 

具体的には、科学の分野で、相対性理論と量子論を統合する新しい理論が出てくれば

いいなという思いです。

これは、今までに読んで来た、先端物理学の入門書からの受け売りの願いです。

宇宙論を密教の中で展開している真言宗の空海さんなら、分ってくれるかなあ~という

素人のお願いごとです。

 


そして、写経が終わると、二階の本堂で、このような祈願文が添えられて、御本尊(この

お寺では地蔵菩薩)にお届けしました。

ちなみに、パンデミックの最中ですので、「疫病退散」が主たるお願いとして供養され

ました。

 

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次に2021年10月2日に行われた「写仏会」の様子です。

 


道具立ては、このようなものでして、今回は「文殊菩薩」を写し取る写仏です。

 

 

通常、仏像としてみる機会が多い文殊菩薩さんは、右手に剣を持っているのですが、

写仏で使われる文殊菩薩さんは、右手に経典を持っているお姿です。

 


この経典を持っている文殊菩薩さんは、「胎蔵界曼陀羅」の真中に大日如来がいて、その

周りを8人の如来と菩薩が取り巻く中で、右下に描かれています

確かに、剣ではなく経典を持っているように見えます。



私が写しとった文殊菩薩さんはこのようなことになりまして。

ざっと見ても、筆書きの線がなめらかではなく、曲線や円がたどたどしく、直線もまっすぐ

には書けず、細かいところはかなり誤魔化した写し方になってしまいました。

線の太さもまちまちで、筆の使い方をまったく知らないことが一目瞭然。

つくづく、日本画を描くプロの絵師の技術が並外れていることを実感しました。

 

しかし、写仏は修行ですから、1時間という決まった時間の中で、「ああ、だめだ、

ダメだ」と思いながらも、他のことは頭を離れ、集中できたことだけは本当でした。

上記の解説のサイトには、「邪念があると、線が歪んだりにじんだりする」とあったの

ですが、私の場合は、邪念もあったでしょうが、その以前に、手が震えて筆をしっかり

動かすことができませんでした。

 


写し取った文殊菩薩さまを、こちらへ納めます。

そして、その後、本堂で「疫病退散」の祈願を行ないました。


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それで、写経と写仏のどちらが難しいかと問われれば、私は写仏が難しいと答えます。

なぜかと言えば、写経の場合は、知らない漢字があるにしても、とにかく小さな漢字を

たくさん書くわけですから、元々下手な字であっても、それなりに見えるんですが、

写仏の場合は大きな絵ですから、子どもがみても、丸い線が歪んでいるとか、

線の太さがまちまちだとか、線が途切れ途切れになっているとか、いろいろと目につく

からです。 お絵描きは侮れません。

 

子どもが一所懸命お絵描きをしている時は、神経を集中して、修行をしていると

大目に見てあげるのがよいのではないかと思います。

 

解説のサイトに、写経をすれば「字がきれいになる」と書いてありましたが、私の場合は

おそらくそれは無理だなと思いました。

 


たまには、写経や写仏もいいもんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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