リチャード・ドーキンス 特別講義「進化とは何か」を読む ― 3 腸内細菌が人間をコントロールしているのか?

 

リチャード・ドーキンス 特別講義「進化とは何か」を読む ― 3 腸内細菌が人間をコントロールしているのか?

 

 

Growing Up in the Universe  by  Richard Dawkins

ドーキンスさんによる特別講義「進化とは何か」を読んでいます。



 

 

これは、1991年にイギリス王立研究所で行われた「クリスマス・レクチャー」に

ドーキンス氏が講師として呼ばれたときの講演内容だそうです。

 

 

== 以下は、インタビューの章に入ります ==

 

p213

 

「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。 恐怖心を克服することが叡智につながる」

 

「人間は信じやすい動物だから、何かを信じたくなる。 信ずるに足る何かを見出せない

場合は、信ずるに足らないことでも満足してしまう」

(バートランド・ラッセル)

 

==>> このラッセルの言葉は、確かにそうであろうと思います。

     前者は米国での先の大統領選の際、そして今も続いていると言われる陰謀論や

     コロナ禍でのさまざまな偽情報に現れているのではないかと思います。

 

     私にとってより真実だと思えるのは後者の言葉です。

     私も何故か何かを信じたくなってしまうからです。

     人間には何故そのような志向性があるのかが、不思議でなりません。

     その何故を知りたくて、今までに何冊も本を読んできました。

     宗教や哲学の本から、脳科学や量子論の本までを読んできたのはその為です。

     今まで読んできた中で私の感覚に一番ぴたっときた本はこの本でした。

 

     村本治著「神の神経学―脳に宗教の起源を求めて」

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/04/post-31d1bf.html

     「私の現在の読書のテーマは、「人はなぜ何かを信じるのか?」です。

結論から言えば、この本は私が求めてきた本だということになります。」

 

・・・この村本治さんの専門は、臨床神経内科学、神経心理学、医療倫理、

宗教と医療倫理の関係、終末医療、尊厳死の問題・・・となっています。

 

私がこの村本治さんの本を読んだ時の結論は以下のようなものでした:

http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/04/post-c35641.html

 

「私の読後感で言うならば、「神は妄想である」と「神の神経学」

内容的にかなり似ていると思います。

前者は欧米人向けであり、後者は日本人向けという感じです。

しかし、前者は情け容赦のない徹底した宗教批判であり、著者の

無神論者宣言とも言えるもので、後者は脳の構造や機能からして

宗教・神は死んではいないと結論しています。

つまり著者の言う「内なる神」を神経学的に実在するものとして

認めているわけです。

 

私の読書のテーマは、「人はなぜ何かを信じるのか」でした。

今までいろいろと読んで来た中で、科学的に私に一番ぴったりする答を

出してくれた本は、今の時点では、この本だと言ってもいいと思います。

出来ることなら、私が生きている間に、この本の内容がさらに深く

探求されて、最先端物理学によって解明されると楽しいなと思っています。」

 

p216

 

「ミーム」という概念については、・・・・

 

これは遺伝子そのものを強調しすぎないために持ち出したコンセプトです。

「自然選択」のメカニズムというのは、おしなべてどんな自己複製する情報記号にも働く

ということを言いたかった。 コンピュータウイルスが当時すでに存在していれば、

(ミームを持ち出さずに)コンピュータウイルスを例に使ったでしょう

なかったので、「ミーム」を持ってきたわけです。 それがミームの当初の目的だった。

・・・

現在ではダニエル・デネットをはじめとして、このアイディアを発展させて人類の文化を

説明しようとする人たちもいて、この展開を喜ばしく思っています。

 

==>> ここでミームのコンセプトが当初はコンピュータウイルスと同じであった

     ことを述べています。

ここでミーム論について再確認しておきます。

 

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0-682715

「ドーキンスRichard Dawkins1941― )によって、遺伝子geneの対概念

として命名された概念。『利己的な遺伝子』The Selfish Gene(原著初版1976

/翻訳版1991・紀伊國屋書店)で提唱された。遺伝子は体をつくるが、

ミームmemeは文化をつくる。そして遺伝子と同じように淘汰(とうた)

よって次の世代へと引き継がれていく。ドーキンスは生物学における物理

法則に匹敵するような普遍的法則として、「全ての生物は自己複製を行う実体

の生存率の差に基づいて進化する」という原理を提唱している。」

 

     そして、ここにダニエル・デネットのTEDでの講演の動画   

     「ダニエル・デネット 「危険なミーム」 1/2」を発見しました。

     https://www.youtube.com/watch?v=_LKXLhetYsI

     ・・・この動画はいきなり「この中に創造説支持者は何人いますか?」と

     いうかなり過激な挑発的質問から始まっています。ご用心下さい。(笑)

 

     ちなみに、ダニエル・デネットの日本語版の本をチェックしてみると、

     かなり高価です。 手が出ません。

 

     「ミーム」という概念についての、私の個人的な素朴な理解としては、

     おそらく、宗教については生家の宗教であった浄土真宗、つまり毎朝

     仏壇に向かって朝ごはんの前に「チ~~ン」とやって、「なんまいだ~~」

     と拝まされたこと。 知識については、学校教育で検定済み教科書に

     沿って教えられてきたこと。 仕事の面では、米国系という会社では

     あったにせよ、その企業風土の中で生きてきたこと。そして、退職後は、

     西アフリカのベナン共和国や通算17年住んだフィリピンでの異文化に

     接したこと、そして今はさまざまな本を読み漁っていることなどが「ミーム」

という文化の遺伝子として私に作用したと言えるのではないかと思います。

勿論、日本社会の中で育ってきたわけですから、いわゆる日本の「共同幻想」

というもののミームもあることでしょう。

 

p217

 

延長された表現型というのは、ダムや鳥の巣のような無生物体でなくてもいい。

寄生生物が住む宿主の体でもいいのです。 寄生生物が、自分たちの生き残りや

生殖に有利なように宿主を利用する場合、その宿主の体は、寄生生物の遺伝子の

表現型であるとみなすことができる。

 

==>> この文章は、先日テレビでみた「ヒューマニエンス」の「腸内細菌」

     連想させます。

     最近の科学では、脳と腸と腸内細菌の関係も解明されつつあって、

     ここで述べられている「寄生生物」によって人間という宿主が動かされて

     いるのかもしれないという妄想を掻きたてます。

 

「腸内細菌の活動が腸と脳をつなぐ神経回路に影響を及ぼして腸の運動を制御していることが判明」

https://gigazine.net/news/20200806-gut-microbes-regulate-neuronal-circuit/#:~:text=%E8%85%B8%E5%86%85%E7%B4%B0%E8%8F%8C%E3%81%AE%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%8C%E8%85%B8%E3%81%A8%E8%84%B3%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%9B%9E%E8%B7%AF%E3%81%AB%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E3%82%92%E5%8F%8A%E3%81%BC%E3%81%97%E3%81%A6%E8%85%B8%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%82%92%E5%88%B6%E5%BE%A1%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%88%A4%E6%98%8E%20%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%85%B8%E3%81%AF%E7%B4%841%E5%84%84%E5%80%8B%E3%82%82%E3%81%AE%20%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3,%28%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B4%B0%E8%83%9E%29%20%E3%82%92%E6%9C%89%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%80%81%E3%80%8C%20%E8%85%B8%E3%81%AF%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%20%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


     「人間の腸は約1億個ものニューロン(神経細胞)を有しており、「腸は第二の

脳である」ともいわれています。過去の研究から、腸内に生息する細菌が動物

の持久力や食べ物の好みを左右していることが明らかになっていますが、

新たに腸内細菌の活動が腸と脳を結ぶ回路に影響し、「腸の運動」を制御して

いることが判明しました。」

 

 

p223

 

この求める心、信じる態度というものは私たちの脳の自然な傾向であって、どうしようも

ないことなのでしょうか。

 

これは自然な傾向ではあるかもしれないが、確実にどうにかすることはできる。

ちょっと難しいだけです。 なぜ人々がだまされやすいのか、迷信を信じやすいのか

 

p225

 

利己的遺伝子は、協力的な個体を作り出すのです。 「利己的な遺伝子」の中で、

「だまされやすい人vsだます人」の例を用いてゲーム理論を説明し、「やられたとき

だけやり返す」ようないい人はとてもうまくいくことを示しました。その章に

「気のいい奴が一番になる」という見出しをつけたのは、利己的遺伝子は利己的な

固体を作る、という短絡的な思い違いを正すためです。

 

==>> ここでドーキンス著「神は妄想である」を振り返ってみますと:

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/03/post-dda1e9.html

     「P314 

利己的な遺伝子という考えの趣旨は、自然淘汰の単位(つまり利己主義

の単位)は利己的な個体ではなく、利己的な集団でも、利己的な種でも、

あるいは利己的な生態系でもなく、利己的な遺伝子だということにある。

情報という形で、多数の世代にわたって生き残るか、残らないかという

のは遺伝子なのである。」 

 

ここでは「利己的」としている遺伝子というのは個ではなくあくまでも

遺伝子レベルという意味であって、その意味では「利他的」であるという

ことでしょうか。

     だから、騙されやすいけれども、「やられたときだけ」やり返すという

     気のいい個であるということになりそうです。

 

p226

 

今日、特にアメリカで顕著になっているのですが、無神論が以前よりずっと受け

入れやすくなってきています。 ひょっとすると、以前から内心ではすでに無神論

を受け入れていたけれど、ただ宣言することをためらっていただけなのかもしれない。

それでも、まだ無神論者である大統領候補は出てきていません。

 

==>> これは日本ではあまり考えにくい話ですが、実際にかなり強い暗黙の

     ルールになっているようです。

     ドーキンス著「神は妄想である」には、以下のようなくだりがありました。

 

     http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/2021/03/post-5d9d05.html

     「p14

      この時点で、アメリカの読者に対してとくに一言述べておく必要がある。

なぜなら、現在のアメリカ人の信心深さは、本当に目を見張るものだから

である。 ・・・・今日のアメリカにおける無神論者の社会的地位は

五十年前の同性愛者の立場とほとんど同じである

 

・・・1999年に行われたギャラップ調査では、アメリカ人に対して、

その他の点では十分な資格を持つ次のような人物に投票するかどうか

が質問された。

女性(95%は投票する)、ローマ・カトリック教徒(94%)、

ユダヤ人(92%)、黒人(92%)、モルモン教徒(79%)、

同性愛者(79%)、無神論者(49%)という結果だった。

 

・・・しかし無神論者の数は、多くの人が気づいているよりも、

もっとはるかに多く、とくに高い教育を受けたエリートのあいだに多い。」

 

     ・・・そして、ドーキンスさんは、無神論者という代わりに「ブライト」

     呼ぶことを提案しています。

 

     一方日本の場合は、その中に住んでいる私などは鈍感なものですから、

     なかなか気が付かないんですが、政治を動かしている背後には一定の

     宗教的勢力がいると言われています。

     それは見方を変えれば、米国ほどにオープンで自由な議論がされていないと

いうことにもなるのでしょう。

 

p243

 

少なくとも先進国においては死ぬことが難しくなってきていて、「自然選択」の

切れ味が鈍くなってきていますが、アフリカなどではまだ若くして人々が死んで

いきます。  たとえばアフリカでは、おそらくAIDSに対する耐性を持った

人々が、どんどん選択されてきているのではないでしょうか。 実際AIDSに対する

遺伝的な耐性が確認されています。 ですからおそらくアフリカでは「自然選択」に

よって、AIDSに対する遺伝的耐性が選択されていると考えられます。

 

==>> これは「何億年もかかって、生命の樹は枝を幾重にも分れて広げて

     きましたが、いつかこの枝は伸びて分れていくのをやめるときが来る

     のでしょうか」という質問へのドーキンスさんの答えです。

 

     ここで気になるのは「先進国においては死ぬことが難しくなってきて・・」

     という部分です。これは実際にそうだと思います。

 

     私の父は、私が30歳の時、父が70歳の誕生日12月31日に脳梗塞で

     一週間眠り続けた後に他界しました。

     今であれば、倒れた瞬間に救急車で病院に運ばれて「死ぬことが難しい」

     ことになるのでしょう。

     本人がまだ働き盛りであれば、本人も家族も勿論「生きてくれ」となる

     でしょうが、今古希を超えてしまった私としては「自然に逝かせてくれ」

     と言いたいところです。

     つまりこれは、感染症などであれば、自然選択ではなく人為選択という

     話になりそうです。

 

     そこで、私の疑問は、人為選択というのは、例えばワクチンのような場合には

     どの程度遺伝子に影響があるのかという素朴な疑問です。

     どなたか教えてください。

 

     p85には、このように書いてあったんですけど・・・

     「何世代も続いた「自然選択」の結果は、ちょうど何世代も続いた

「任意選択」の結果と同じようになります。」

 

 

p249

 

「・・・次に何をしようかといったその時々の判断は、脳に任されている。

遺伝子は政策決定者であり、脳はその施行者である。 しかし脳がより高度に発達する

につれて、学習や実行のシュミレーションといった技を使って、実際の政策決定に

まで関与しだしたのである」

 

われわれの脳は、遺伝子から離れて独立し、遺伝子に反抗するまでになった

避妊するたびに、小さな規模で反抗しているのである。 大がかりに反抗してならない

理由は何もない」

 

==>> これはドーキンス著「利己的な遺伝子」からの抜粋だそうです。

     人間の脳は、遺伝子に反抗するまでに成長してきたらしい。

     簡単言ってしまえば、宗教ではどんづまるところを、科学で乗り越える

     ことができるということなんでしょう。

     

p254

 

われわれは、自己という実体がそれぞれの脳の中に存在しているという幻想を

抱いている。 そしてこの幻想は、明らかに神経細胞の集団が生みだしたものなの

です。 

一体誰がそれを予知することができたでしょうか。 ですから同様に、インターネット

が、全体として一つの意識を持った存在になる、というSFのシナリオを想像すること

はできます。 でもまだSFの域を出てはいませんが。

 

==>> 今までに読んできた本の中では、この「意識」というのはなかなか難しい

     ものだそうで、例えば、「私には意識がある」と言ったら私は意識があるという

     ことになるんですが、「あなたには意識がありますか」と他の人に聞いたとして、

     その相手が「私には意識があります」と答えたとしても、私にはそれを

     確認する手段がないというジレンマがあるみたいなんです。

     つまり、AIを相手にして、AIが「私には意識があります」と答えた

     場合と人間の相手が応えた場合に違いがあるのかという疑問ですね。

 

p256

 

われわれの住んでいる地方(ヨーロッパ)は、たまたまユダヤ教の創世記が、もとは

バビロニアから来ているものでしょうが、独占しています。 日本にも一つ以上の

創世記があるのではないでしょうか。

ですから、一つにはこういった好奇心というものが元にあった。 もう一つは、支配

階級が、統治上、権力の道具として利用したのでしょう。 何百万もの人々が組織的

に誤った教育を施された。 「道徳に関する時代精神」というものは時代の流れに

沿って変わっていくものですが、聖典というものは書き換えられない

 

==>> 私なぞは、フツーの平均的日本人として、神道や仏教の影響を受けて

     育ってきましたから、絶対的な聖典というものを厳格に守るという

     原理主義的な考え方からは程遠いわけです。 おまけに、「古事記」の

     ような神話は、普通に読めばハチャメチャな世界が書かれているし、

     今までに読んだ仏教経典の現代語訳にしても、哲学的な感覚での

     読み方はできても、戒律としての読み方にはなかなかなれません。

     今時の密教などは、量子力学の宇宙は大日如来の宇宙と同じだというような

     解説まであるぐらいですから、かなり柔軟だと言えるのかもしれません。

 

p259

 

真実について、あるいは世界についても・・・・真実は不快で、恐ろしくて、

寂しくて、冷たくて、暗くて・・・というふうに感じる人たちもいます。

「利己的な遺伝子」を読んだ後、あまりにもネガティブで虚無的に感じられたので、

生きて行く意欲を失った、というような類の手紙をもらったことも何度かあります。

 

p260

 

科学的にしっかりと理解すれば、現実の世界というのはそれはそれは美しく

間違いなく面白いものです。 間違った驚きや商売目的の似非科学に惑わされず、

地道な努力をして正しく理解するのに十分値する。

これは本能的なものではないので、時間と忍耐力を必要とします

 

==>> これは正におっしゃる通りだと思います。

     私はいろいろと知りたくて一所懸命に理解困難な本を読んでいるんですが、

     それはもう大変です。

     いろいろと読んでいるうちに、そのうち「ああ、そういうことか」と

     意味が繋がってくるのを待っている感じです。

     もっとも、著者の意図するところとまったく違った理解になる可能性の

     方が高いのですが・・・・

 

== 以下は「訳者あとがき」です ==

 

p268

 

「真実の発見は、偽りのみせかけや推論力の弱さが妨げるのではなく、

先入観や偏見によって最も強く妨害される

(アルトゥール・ショーペンハウアー)

 

==>> 私は思い込みの激しい人間なので、先入観や偏見がないかについて

     注意はしているつもりなんですが、そんなに簡単なものじゃありません。

     ショーペンハウアーは私が20歳の頃に一番影響をうけた哲学者なので、

     ここで敢えて抜き書きしました。

 

p269

 

進化は人類史のみを考えると、一方向に進んでいるように見えますが、進化の大樹

全体を眺めてみれば、何十億という異なる方向に進んでいることがわかります。

その証拠に、バクテリアやオウムガイ、カブトガニ、シーラカンス、魚類、昆虫、

鳥類、哺乳類など、進化の異なる時期に誕生した生物が、今日地球上に共存しています。

かつて地球上に誕生したさまざまな種は、その99%以上が進化の過程で絶滅して

しまっていて、現存する種の数は、研究者によって500万~1臆種と、大幅に違いが

あるのですが、最近の発表ではだいたい1,000万くらいであろうと推定されて

います。

 

p270

 

「あと100年か200年ぐらいの間に、もし我々が自分自身を絶滅させずに済んだなら、

おそらく人類は、もはや有機的(オーガニック)な存在ではなくなり、ロボティックス

AIを活用した、ホモ・サピエンスより格段に優れた知能・身体能力などをそなえた、

かなり無機的なポスト・ヒューマンに進化していくだろう。 その過程で、最大約半数

にも上る人類は、無用の長物と化してしまう可能性が高い」

(ユヴァル・ノア・ハラリ:歴史学者)

 

==>> おお、最後に出ました。 ハラリさんの「ホモ・デウス」ですね。

     やっと読み終わりました。

     少年少女向けの特別講義ということなんですが、なかなか高齢者には

     骨の折れる本でした。




      ハラリさんの「ホモ・デウス」には、近未来のぞっとするような

     人類の「進化」が書かれているんですが、そのような近未来に人類が

     どのような社会・政治体制を選択するかは、我々自身にゆだねられている

     ことを強調していました。




     そして、ノーベル文学賞の カズオ石黒著「クララとお日さま」では、

     普通の人間、改造された人間、旧型のロボット、新型のロボットなどが

     登場し、それぞれの間に差別や偏見があることを描いています。

     ただ、旧型ロボットであるクララには、一番人間らしい心?がプログラム

     されていて、宗教心みたいなものも持たされていて、そこの救いがある

     ような一種の爽やかさも感じられます。     

     

「進化」という言葉は、学校時代から何度も耳にしてきたんですが、それがどのように

起こってきたのかというメカニズムについては、ここで初めて学んだように思います。

 

特に進化といえば突然変異だと思い込んでいた私にとっては、何億年にもわたる

「自然選択」というものが、奇妙な「デザイノイド」つまり神様がデザインしたと

も見えるようなものまで、作り上げてきたのだということが理解できました。

 

たまたま、さっきテレビの園芸番組で食虫植物のことをやっていたんです。

食虫植物みたいなものは、誰かが、神が、ある目的をもって創造したと

言ってしまえば簡単だし、頭もすっきりするわけなんですが、それは思考停止って

ことになってしまいます。

こどもに返って「なんでだろう?」という素朴な疑問に立ち戻れば、やっぱり科学的に

知りたいという欲求を抑えられなくなるわけです。

何億年もかければ、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」と、下世話な論理で考えれば

「自然選択」という意味も分かるように思います。

 

リチャード・ドーキンスさん、ありがとうございました。

 

 

== 完 ==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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